私が思う賢い人の定義は、2つです。
・価値が分かる人
・正しい判断ができる人
です。
価値が分かるから、正しい判断ができるので、これらは1つにまとめられるとも言えます。価値の対象は、物と者、両方です。つまり自分の五感へ信号として入ってくる全てのモノです。「正しさ」とは、自分の利益になるか否かです。人間、自我からは逃れることはできません。自我と社会の利益が一致することが望ましいことです。
これらの礎になるのが、基礎知識であり、基礎学力であり、教養であると思います。学ぶ目的とは、正にこれです。
マスコミの安易な喧伝のせいで、難しいクイズができる人、試験偏差値が高い人が賢いように思われてきました。かつて大宅壮一が喝破した一億総白痴化の極みです。しかし世の中は愚かではなく、今やマスコミの暴落は顕著です。断末魔と言いましょうか、その喧伝が特に最近激しいように見えます。まあ、断末魔にしか過ぎませんが。
賢い人というのは、質問が的確です。価値が分かっているからです。質問内容がどうでもよい些末で枝葉末節のことだったら、「こいつダメだな」と内心思います。価値が全く分かっていない。価値が分かっていないことは、目的が分かっていない。目的が分かっていないということは、意図が分かっていないということです。
学びにおいて、一を聞いて十を知ることは、誰にでもできることではありません。しかし、一を聞いて十を学ぼうとする意欲は持たなければなりません。学ぼうとしない人に見込みはありません。例えば、実験結果から何が分かるかを必死に考えることです。神さまは、このデータ一つに何を暗示されているかを。
十を知る得ることはできないかもしれません。しかし三知ることができれば、三割バッターで一流です。四知れば歴史に名が刻まれます。
教育とは、環境を整えることに終始すると思います。授業は、切っ掛けを与えることです。これ以上のことはできません。
全てを与えられると考えている人は、結局何一つ得られません。批判や非難に終始する人生ほど、悲しく寂しいものはありません。
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