AIを使って研究室案内を作ってみました。研究者仲間内で、研究まとめをAIで作るのが流行っていまして。流れに乗ってみました。
少し修正指示を出しましたが、ほぼ一発で作ってくれました。AI恐るべしです。
AIについては賛否色々議論はありますが、ほどほどに付き合っていくのが良いかと思います。
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今年度から、部活顧問が陸上部へと異動になりました。弓道部で2年を過ごして、このままずっとかなと思っていたら、青天の霹靂でした。弓道経験も全くなかったのですが、陸上経験も全くありません。体育会系とは無縁の人生です。たぶん。
ずっと同じ部活動を顧問されている先生が多数ですが、私は特定の部活動に拘りはありません。退職などの人事異動に対して、私のようなフリーダムの者は人事配置上必要不可欠かなと思います。
その顧問デビュー戦として、5/15(金)~17(日)の3日間、「令和8年度福岡県高等学校総合体育大会陸上競技対校選手権大会南部ブロック予選会 兼 全国高等学校総合体育大会南部ブロック予選会」が行われました。名前長いですね。要はインターハイの予選です。高専は5年制なので、高校生扱いにできる3年生までが出場しました。
試合会場は、久留米総合スポーツセンター内の県立陸上競技場でした。弓道部でお世話になった久留米アリーナの道路を挟んで西隣です。
福岡県ではまず、地区ブロック毎に予選会をして、選抜されて県大会へと行きます。地区は、北部(北九州市など)・筑豊(飯塚市など)・中部(福岡市など)・南部(久留米市など)の4つです。県南端にある有明高専は、南部に属しています。南部の試合会場は必然的に、大都会久留米となりますね。
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5/10(日)のGW最終日。締めくくりは、献血と行きました。約1年ぶりですね。イオンモール大牟田へお出かけしたら、たまたま催してありましたので。献血カードはいつも持っています。いや、今はアプリですね。
このGWは、前半に授業準備など校務を片付けて、後半からは論文執筆を始めています。割と余裕な日々でした。バカンス? いやいや、仕事を片付けるために休みはあるのですよ!!
え゛っ、違うのですか!?
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歳を取って、忘れて思い出せないことが間々出てくるようになりました。「あれ何だっけ~?」と。忘れるということは、宜しくないものと思ってきました。
若い頃は、嫌な思いを散々経験してきました。嫌な人間に散々会ってきました。忘れられないので、激しく憤ったものです。そこを乗り越えるしか道は無いと思っていました。乗り越えようしてと、角が立ったり傷ついたりしたものです。
そんなことは今や遠い過去となり、今の人生には何の関係もなくなりました。今後関わることもないでしょう。思えば遠くに来たものです。忘れて差し支えない。
そう、忘れられるということは、決して悪いことではないということが分かるようになりました。
忘れたくない大事なことは、日々確認すれば良いのです。ボケ防止のためにね。
そんな今日この頃、たまたまこんな動画に遭遇しました。へー、そうなんだー。まあ、心当たりはあるかなと。
例えば、走査型電子顕微鏡(SEM)の思い出です。大学院修士学生の時代、アナログのブラウン管に映し出される顕微鏡画像の保存には、ポラロイドフィルムでした。フィルム一枚に相応のコストを要しますから、画像を選んだものです。それが博士課程になると、光磁気(MO)ディスク記録で取り放題となり、ビックリしたものです。
この旧年度末に、最新のSEMを見せていただく機会がありました。化学の世界から離れていったこともあり、縁が遠のいちゃって。今やPC中に瞬時に記録されますね。SEMの基本構造は変わっていませんが、何もかも便利なデジタル制御になっています。でも、ここから一体何を感じ、何を学び得るのだろうかという一抹の不安がよぎりました。
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高専教育に最も欠けていると考えているものがあります。それは「思考の忍耐」です。
高専教育は、5年間の完成教育を標榜しています。普通科高校+大学の計7年間より2年も短く完成を求めています。ですから、自ずと専門分野に特化した詰め込み的な教育体制となっています。
高専教育は、高等教育を謳っています。高等教育と中等教育の最も大きな違いは、冒頭の思考の忍耐力を求めていることにあると思います。平たく言うと、読書です。本を読むことは読解力を要します。読解力とは、文章を辿りながら思考を整理し、それを自らの血肉として構築していくことのできる力です。
とりわけ今は、インターネットとAIによる情報過多の時代です。ちょっと検索するだけで、必要な情報を得て、「一応の」解答を得ることができます。「一応の」と括弧書きを付けたのは、思考過程が無視されているからです。単に解答を押しつけられているだけで、人間の知的活動とはかけ離れているからです。俯瞰すると、行っていることは、原始時代と何ら変わりはありません。
先に述べたように、賢い人とは、価値判断と道の選択ができる人と定義しています。押しつけられた解答だけで、これらができるとは到底思えません。売り家と唐様で書くだけです。
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定期的に、教職員有志で小さな慰労会をしています。私が幹事みたいになっています。一つのテーブルを囲えるだけの人数でやっています。
普段から親しくを心がけてはいますかが、勤務時間中では難しいこともありますしね。
事務方へはよく出向きます。書類の受け渡しなどは基本的に自分で行っています。学内便はありますが、あまり使いません。というより、学内便の封筒自体を直接持っていきます。郵便屋さんです。
研究重視だからといって、研究室に籠もってばかりではありません。
下っ端時代から変わらないことです。散歩を兼ねたコミュニケーションの一環です。事務方のサポートあってこその教員です。
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早いもので、こちら有明高専に来て7年目となりました。そして7年目のGWです。7年目にして、ようやく落ち着けてきたなという感じです。
過去のGWでは、授業資料作りに追われました。着任していきなりMaxの授業数でしたから。担当授業数はほぼ変わっていません。高専という慣れない環境での授業計画とその資料作りでした。過去例のない量のスライド資料をつくりました。
研究室を立ち上げて、研究環境を整えるのに必死でした。部屋を確保し、改造し、装置をセットアップしました。当時の学生さん達と右往左往しました。
研究業績を上げるのに必死でした(※まだまだ現在進行形ですけどね)。高専だからといって、「大学とは違うから研究しなくてもいいや~」では、人間劣化するだけです。正式な業務の一つですからね。
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私が思う賢い人の定義は、2つです。
です。
価値が分かるから、正しい判断ができるので、これらは1つにまとめられるとも言えます。価値の対象は、物と者、両方です。つまり自分の五感へ信号として入ってくる全てのモノです。「正しさ」とは、自分の利益になるか否かです。人間、自我からは逃れることはできません。自我と社会の利益が一致することが望ましいですね。
これらの礎になるのが、基礎知識であり、基礎学力であり、教養であると思います。学ぶ目的とは、正にこれです。
マスコミの安易な喧伝のせいで、難しいクイズができる人、試験偏差値が高い人が賢いように思われてきました。かつて大宅壮一が喝破した一億総白痴化の極みです。しかし世の中は愚かではなく、今やマスコミの暴落は顕著です。断末魔と言いましょうか、その喧伝が特に最近激しいように見えます。まあ、断末魔にしか過ぎませんが。
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