KOSENでの研究活動

 卒業を控えて5年生の担任業務も大方落ち着いたので、目下、学術論文を執筆しています。KOSEN(高専)に着任して4年、経験のない生活に慣れることや、多くの授業準備、そして研究室の立ち上げなどで研究活動が疎かになっていました。幸いにも共同研究先に恵まれて論文は出せていましたが、最貢献者たる第一著者としての論文が出せていませんでした。論文は、第一著者であってこそ意味があると思っていますが、その自負が果たせていませんでした。多忙さも後で振り返ってみれば、時間の使い方が悪かったなと反省するばかりです。

 この1年、研究室学生達が各学会で受賞し、華々しい活躍をしてくれました(これこれ)。この上ない喜びです。さらに旧秋には優秀な4年生達が研究室を選んでくれました。上級生達も、実験や後輩への指導を任せられるように育ってくれましたので、時間に余裕が生まれ、好循環となってきました。有り難いことです。その分、自らを磨いていかなければならないことに重みを感じています。時間的余裕は、学生達から与えられた試練とも言えます。

 彼らの学会での受賞は、並み居る年長の大学院生達と競って勝ち得たものです。つまり、高専生は若くとも、それだけのポテンシャルがあるということです。そのポテンシャルはつい最近の学生達にのみ生まれたものとは考えにくいので、以前からあったはずです。一般に高専生の学会活動が目立ってこなかったのは、偏に指導する教員の能力に基因する問題だと思います。

 高専の教育は大学と違って、中学校を出たばかりの学生達をゼロから育てていくことに魅力があります。大学での教育は基本ほっとらかしですよね。自分の研究室に配属された学生に対して、ようやく教育を始めます。高専では、研究室配属以前から学生一人一人の名前、性格や個性を把握できます。学生実験レポートから、文章の書き方のクセや筆跡だって把握できます。このように細やかに把握することで、導き方によってはいくらでも彼らの能力を伸ばすことができます。しかし一方で、何かにつけて学生の責任にする教員がいるようです。これほど情けない者はいません。無能を自ら証明しているだけです。

 高専教員の研究能力は、「学修総まとめ科目担当教員」になることで保証されます。俗に「特例認定教員」と呼ばれています。もちろん、私は適評価(合格)となっています。ただし、これは全ての教員が得ているわけではないようです。

 高専は旧帝大などとは異なり、研究だけが全てではありません。学生の能力を伸ばすのに色々な活動があります。ロボコンは最も有名ですよね。ですから、全ての教員が特例認定教員になる必要はないと思います。各自なりの活動で高専生の教育に尽くせば良いのです。しかしながら、特例認定教員でないことをひた隠しする人達がいるようです。研究以外の活動を立派に努めているのならば、堂々としていれば良いのになあと思います。何を以て高い教壇に立つのかなと。

 研究は大事ですが、研究が全てではありません。最も大事なことは、学生達を伸ばすことです。そしてその過程をもって、自らの成長の糧とすることです。

 KOSENはやりようによっては、フランスのエコール・ポリテクニークに匹敵する組織にだってなれると思います。いずれにしても、教員次第ですね。

 

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