Tag Archives: 信頼性工学(品質管理)

文書管理体系と非常事態

 今回の地震のような未曾有の災害などの非常事態に遭遇した際は、日頃の訓練が活かされると言われます。確かにその通りではありますが、その訓練を確かなものにするための土台となる文書の管理体系化ができているかについては見過ごされやすいです。

 訓練の際に、「弛んでいる!!」などと小言を言っても意味がありません。精神論は、愚者の安易な拠り所です。誰でも言えます。

 ISO9001:2015では、「認識」という用語が出てきます。これは「関係者全員が品質に関する事項を理解しておく」ことです。言い換えますと、「いつでも、どこでも、誰でも、必要な際に必要な文書を手に入れられる」環境を整えておくことです。新入社員とベテランの区別があってはなりません。いくら高名ご立派な文書を作っても、活かされなければ何も意味もありません。

 まあ毎度言っていることですが、ちゃんと授業でやってるんですけどね・・・。

ISO9001:2015の専門用語です。
続きです。
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情と理の狭間で

 これまでの人生、色々なところで色々な仕事をしてきました。大学院、大学付置研究所、企業、そして高専と。

 中でも一番自分が勉強し、また成長したなと思うのは、自ら望んだことではないですが、企業で品質管理業務に携わったことです。企業ですから人事や組織は経営戦略の下で都度変わりますが、尊敬する同僚、尊敬する上司の人達に恵まれました。

 アカデミックの世界は、彼らよりはるかに学歴の高い人達ばかりです。では人事がベストに働いているかというと、そうと言えないことが多いかと思います。残念ながら、「お客様にしっかり対応できるか!?」という視点が決定的に欠けてしまうからです。「学生ガー」が大好きですから。

 そんな経験もあって、学生FirstFMEAを脳内で回して、自身の行動指針(哲学)を建ててきました。

 学歴って何なのでしょうね?

 では何故、わざわざアカデミックの世界に戻ってきたかというと、この世界に忘れ物をしていたからです。7年目、その忘れ物をようやく取り戻せそうな環境を得てきました。

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鉛フリーはんだ

 1000年に一度の美少女とか、毎年最高の年となっているボジョレー・ヌヴォーとか、時間的感覚に疑義が生じる現代です。しかし真に1000年に一度の大発明といえば、鉛フリーはんだです。ノーベル賞をもらえてないのが不思議なくらい。

 電子回路の作製に欠かせないはんだは、考古学的には紀元前からあったそうです。はんだは鉛と錫との合金で、融点が金属としては低いのでちょっとした加熱で溶けて、またすぐ冷えて固まります。導電性があるので、回路配線の接続にはなくてはならない存在です。

 しかし鉛には毒性があります。代表的な例として、塩基性炭酸鉛2PbCO3・Pb(OH)2、通称鉛白の話があります。

 鉛白はその名前の通り、綺麗な白色の粉体です。古来、女性のおしろいに使われてきました。「色の白いは七難隠す」と言われますからね。しかし鉛白が鉛物質であることには違いないので、肌を通じて鉛の毒性が吸収されます。「佳人薄命」という言葉は、正に鉛白による鉛中毒と繋がっています。

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大雨3日連続自宅待機の日々

 6/24(水)~26(金)の間、大雨のために学生さん達は3日連続自宅待機となりました。休講ではありません。というのも、授業は後日補講とオンライン実施が半々だったからです。私は担当科目毎にそれぞれ選択しました。すべてを後日補講としたかったのですが、3日間も続くとそうも言ってられません。

 有明高専には、オンライン教育設備が整っています。全国の国立高専にはMicrosoft Teamsが完備されています。それとは別に、有明は独自にGoogle Classroomも備えています。日々の授業連絡や事務連絡に大いに活用されておりまして、有明には校内放送や掲示板の類がほぼないです。そのMeetシステムを使えば、オンライン授業も容易なわけです。校内にいると、このようなICT環境は普遍のものと思ってしまいがちですが、学生主事室の渉外担当としてあちこち他校を回っていると、有明はこの点が結構揃っているようです。

 教職員については、出勤できる者は出勤、難しい者は在宅勤務という形でした。今回の件で他教職員と意見交換する必要もあって、私はすべて出勤しました。補講手続きと準備でライフはゼロになりました。

もうやめて、鷹林のライフはゼロよ。合法ドーピングで凌ぐ日々でした。
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創造性は絶対善か?

 創造性、すなわちcreative mindが声高に叫ばれて久しいです。高専の授業においても創造性が重視され、ていうか学科の名称にも使われていますね。

 創造性は、私が研究者として今後も生き続けて行くために絶対に必要なものであることは間違いないです。しかし創造性は、学校教育に等しく取り入れなければならないくらいに全ての人々に必要不可欠なものなのでしょうか。創造性を発現するための手段としてコミュニケーション能力など殊更自分をアピールすることが求められる社会ですが、それが苦手な学生さんもいます。資源の少ない我が国にcreative mindが必要なのはよく分かります。しかしそれだけで良いのでしょうか?

 同じことを繰り返せるのもprofessionalです。授業でも言っています。そこに創造性はありませんが、世の中には必要不可欠な存在です。当然のことを当然に繰り返すことができるのも必要不可欠な能力です。古い例えで言うと、灯台守です。農耕民である日本人にとって、自己アピールは本来苦手なことではないかと思います。上述の学生の能力が低いかというと、そんなことはありせん。形のある仕事はできますし、まじめで責任感もあります。安心して仕事を任せられるタイプです。

同じことを繰り返せるのもprofessionalです。
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作業日報と品質スクランブル

 前回で述べた作業日報は、就職後の日々の日報への練習です。作業日報は、ISO9001:2015の「9.1 監視、測定、分析及び評価」に属するものです。何か不具合が生じたときに、日報や関係する作業記録を調べて、どの時点で生じたを明らかにして、対策、そして再発防止策へと繋げていきます。特に製造/生産部門で生じた場合は、どこまでの製造品がOKで、どこからがNGかを明らかにする必要があります。

作業日報です。毎回の作業を明らかにしておきます。

 しかしこの作業日報、実は私書いたことがありません。教えておきながらね(^_^;)。いや別にサボっていたわけではなくて、品質部門では特例で免除されていたからです。

 何故免除されていたか? それは品質スクランブルに備えてです。

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連帯責任と社会の縮図

 連帯責任、それはチームの誰かが犯したミスを全体で責任を被ることです。この語を好きという人はまずいないと思います。現在では諸悪の根源みたいな扱いをされて、教育現場でも忌避されていることかと思います。しかし、連帯責任は本当に悪なのでしょうか?

 企業など組織で不祥事が起きると、世間から叩かれます。実際に不祥事を犯しているのは、組織の中の極少数というのが殆どの場合かと思いますが、組織丸ごとまとめて叩かれます。

 「組織には良い人もいるんだよー」とは、お約束のコメントの一つです。

 そう、結局世の中は組織単位で動いているんですよね。犯した個人を特定することはできるはず、科学技術の発達した現代なら造作もないことかと思いますが、人間の思考回路というのは自ずと単純を求めます。いくら科学技術が発達しても、人間は人間のままです。煩雑な個人や小グループの理解よりも、その大きな元組織を叩いた方が楽だからです。

 そこで全ての盾となる品質部門の出番があるわけです。新入社員では到底務まりません。

 未来を担う若人が集まる教育現場は、社会の縮図です。ならば、教育から社会を変えていけば良いではないかという発想に至ることがあります。しかしそれは歴史が証明しているように、危険な発想です。そうではなく教育とは、現実社会と折り合いを付けながらまた協調しながら、漸進的に社会を良くしていく地道な作業だと思います。その意味でも、企業とのコミュニケーションは必要不可欠です。

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続続・教育指導におけるISOとは?

 前回前々回でまあ、教育指導におけるISOについて考察してきました。

 目下就職活動の時期です。この少子化かつ人手不足が叫ばれるご時世、学生さん達の企業内々定は思うがまま・・・というわけではないようです。そりゃそうです。かつてバブルでの過剰人員により企業はイタイ目に遭っていますから。少子化でさらにコロナ禍による諸活動控えもあって切磋琢磨の不足が懸念されるため、企業が外国人の積極採用に舵を切るのも避けられないことかと思います。背負っているものが違うからです。右側の人は嫌でしょうが。まあ、今年度は進路指導担当ではないので、端から見ているだけですけどね。

 バブル世代は私の上の世代です。私は氷河期っていうやつですね。しかしアカデミックが長かったので、実感はないんですけど。その栄光のバブル世代は、今やリストラ祭りです。正に盛者必衰の理をあらはすです。

 しかしながらISO、つまり品質を理解しておけば、企業内々定とその後の人生なんて思うがままだと思います。企業は目立つ開発部門がなくても潰れはしませんが、品質部門がしっかりしてないと明日早々には潰れます。いくら開発部門が旺盛で、野球で例えると重量打線で10点取れるチームであったとしても、守りの要の品質部門が愚かであれば11点取られて負けます。ご飯が食べられなくなります。

 ホームページなどで簡単に情報収集できる企業の概要や製品情報をうまくまとめられても、採用人事の人は「またか・・・」と鼻○○をほじるかもしれませんが、品質について語ると、人事は目を丸くして興味を持ってくれるに間違いありません。そして来春の入社式時点から周囲に差をつけることができます。

 組織である以上、企業であれ学校であれ、品質の整備は必要不可欠です。「品質を理解し務めることができる者こそが真のエリート」だと思います。企業人の学歴とは結局、そのための下準備にしか過ぎません。下準備の段階でマウント合戦しているのは、滑稽の極みです。

品質を理解し務める者こそが真のエリートです。
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続・教育指導におけるISOとは?

 前回の不適合なアウトプットの事例で真っ先に生じる問題が、被害者の保護者からのクレームです。学校へ通うのは学生さんではありますが、授業料を出しているのは保護者です。授業料を出している以上、学校に適切な環境における最高の教育を期待するのは至極当然です。しかし残念ながら、この極めて当然の期待、ISO9001:2015で言う「利害関係者のニーズ及び期待の理解(Understanding the needs and expectations of interested parties)」が分かっていない人も存在します。ISO9001:2015の最終目標が「顧客満足(customer satisfaction)」であることを理解しておけば、造作もないことなのですが。

 是正措置に上げた「先ずは謝罪」というのは、最も基本的かつ効果的な対応策です。これだけで対応が満点というわけではありませんが、とりあえずの合格点は与えることができます。詳細な措置と再発防止策に関しては、追々詰めていきます。この「先ずは」が即座にできなくて、後々ドツボにハマってどうしようもなくなる組織というのは、枚挙に暇がありません。組織が複雑すぎて動きが遅い大企業ほどそうです。学校組織も似たようなものです。

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教育指導におけるISOとは?

 高専は職業学校の一種ですから、品質教育はとても大切です。まだ前期ではありますが、関係講義「5E後期 信頼性工学」の担当者として、日々研鑽を積んでいる・・・つもりではいます。

 その品質管理の中核となるISO9001:2015では、「不適合なアウトプットの管理」が定められています。日本語としてはこなれていないですが、原文では”control of nonconforming outputs“です。ISO9001:2015は製造業だけがターゲットではありません。サービス業も対象です。では教育はどうでしょうか?

 教育現場で不適合なアウトプットが発生することとして、次のような事例を考えてみます。

「あるクラスの学生達が騒いで、他のクラスの授業を妨害した」です。

「5E後期 信頼性工学」の授業資料の関係箇所です。
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教育とは何か?

 教育とは何か? 私なりの理解では、

「何人であれ、その者が活きるように導くこと」

だと思います。教育に携わる者はそのプロフェッショナルでなければなりませんし、これが教育者の最大の務めだと思います。

 人を責めるのは簡単です。他人は自分とは違います。責める理由の大部分は、自分との差異が許せないからでしょう。そう、何人でも他人を責めることができます。

 反省ないし再起を促す意味で責めるのは良いとしても、ただ単に自己満足のために責めることは頂けません。信賞必罰は指導の根本ですが、そのバランスにはよくよく注意しなければなりません。

 過失に対してバランスを欠いた過剰な責めには、得るものがありません。「窮鼠猫を噛む」のように、かえって失うものが多くなります。

 つまり、責めるのならば、先々の落とし所を想定して振る舞っているかです。

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Bargain for Communication

 10月になりました。月初めの各社内定式が終わり、また新たな就職活動戦線が始まりました。そして、コミュニケーション能力の大安売りもまた始まりました。Bargain for Communicationです。

 以前にも書きましたが、その勘違いには聞き飽きます。コミュニケーション能力至上主義を、勉強しないことへの免罪符と勘違いする輩も出てくる始末です。OBや先輩からこのような類のことを言われて、真に受けます。真に受けるというよりは、それを免罪符として使ってサボろうする潜在意識の発現です。そのOBや先輩って、本当に自身が人生の理想や目標とすべき人材なのかな?と思います。

 そんな中の毎度の後期、内定式を済ませてあとは卒業を控えるだけの5E学生達に対して、信頼性工学の授業を行っています。コミュニケーション能力の真の意味について説きました。それは、「めんどくさい人を何とかする能力」ということです。

授業スライドの一コマです。
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