批評と退化と倫理観

 教職にある人がよく行うのが、「学生批評」です。お茶飲みのツマミみたいな感じで、あの学生はどうだのこの学生はどうだのと批評します。これが好きな人は、ホント大好きです。

 でもこれって、教職にある人が一番陥りやすい過ちなんですよね。

 当然の前提として、教職にある人すなわち教える者は教わる者(学生)よりも知識や経験は上です。言わずもがな。学生は足りなくて当然です。学生なんですから。知識・経験が十分だったら、わざわざお金払って朝から来ないでしょう。

 学生が教職にある自分と比べて足りないことに対して「あーだ、こーだ」と批評するのは、心理学的には「未熟な防衛」に当てはまるんですかね。そんなヒマあったら、自己研鑽に努めれば良いのにと思います。研究するとか、実験するとか、論文読む/書くとか。研究室掃除して、装置が被った埃を取り払うとか。まあ、研究に限らずですけどね。

 要するに、「社会に対してアナタは十分な能力ですか?」ということです。学生相手にマウント取っても仕方ないです。

 若い頃、研究者として大学/大学院で過ごしていく生活の中で、最も怯え続けた恐怖があります。研究成果が出ないことではありません。幸い、成果に苦労したことはあまりないかなーv(^_^)。いや、良し悪しはともかくね(;_;)。そうではなくて、自身の社会的成長です。

 大学生活ではずーっと、圧倒的多数の20代の学生達と過ごす時間が多いです。たとえ彼らが卒業していっても、別の成長段階の人格が入ってきます。私は歳を取りますが、学生達は決して歳を取りません。卒業生達は企業などを通じて社会の第一線でさらに自分を磨いていきますが、私はずっと同じ環境。果たしてこれで良いのかと。退化しているのではないかと。

 幸いなことに、5年の企業生活でその胸のつかえを取ることができました。企業に出ることは、研究者としてはブランクの時間、ややもすればドロップアウトの感があるものですが、振り返ってみれば人生にとって非常に有益な時間でした。

 企業に出る際、お世話になっている大学の先生に言われました。「企業経験を積めば、鬼に金棒だ」と。当時は分かりませんでしたが、今や何でも来いです。高専は企業、特に地元企業との距離が近いので、経験をフルに活かせて楽しいです。

 教職にある者には高い倫理観が求められると言われます。その倫理観とは具体的には何でしょうか。犯罪がよく世間の話題に上がりますが、それは枝葉末節なことで論ずるに値しません。そうではなくて、「未熟な防衛に対する精神的な強さ」でしょう。

 そう、批評は退化(退行)です。

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