連帯責任と社会の縮図

 連帯責任、それはチームの誰かが犯したミスを全体で責任を被ることです。この語を好きという人はまずいないと思います。現在では諸悪の根源みたいな扱いをされて、教育現場でも忌避されていることかと思います。しかし、連帯責任は本当に悪なのでしょうか?

 企業など組織で不祥事が起きると、世間から叩かれます。実際に不祥事を犯しているのは、組織の中の極少数というのが殆どの場合かと思いますが、組織丸ごとまとめて叩かれます。

 「組織には良い人もいるんだよー」とは、お約束のコメントの一つです。

 そう、結局世の中は組織単位で動いているんですよね。犯した個人を特定することはできるはず、科学技術の発達した現代なら造作もないことかと思いますが、人間の思考回路というのは自ずと単純を求めます。いくら科学技術が発達しても、人間は人間のままです。煩雑な個人や小グループの理解よりも、その大きな元組織を叩いた方が楽だからです。

 そこで全ての盾となる品質部門の出番があるわけです。新入社員では到底務まりません。

 未来を担う若人が集まる教育現場は、社会の縮図です。ならば、教育から社会を変えていけば良いではないかという発想に至ることがあります。しかしそれは歴史が証明しているように、危険な発想です。そうではなく教育とは、現実社会と折り合いを付けながらまた協調しながら、漸進的に社会を良くしていく地道な作業だと思います。その意味でも、企業とのコミュニケーションは必要不可欠です。

 具体的には、5Eで行っている回路設計の授業実習で実践しています。回路設計とは基本グループで行うものですから、実習でもグループ単位で行っています。しかし作られる設計作品は1つですので、評価は連帯責任となります。最終レポート(40%)や毎回の作業日報(30%)など他の項目は個人評価としていますので、連帯責任となるグループ評価の割合は実際はさほど高くはない(30%)のですが、存在はします。

 グループはくじ引きでランダムです。ですからグループには、得意な者もいれば、苦手な者もいます。頑張る者もいれば、遊ぶ者もいます。「なんでこんな奴と・・・」という不平不満はお約束で、想定内です。

くじ引きは伝統的なアナログ方式です。タネも仕掛けもございません。
くじ引きの前に注意事項です。

 しかしこれが社会というものだと思います。気に入った者同士で仕事ができるということは、社会ではまずあり得ません。なんでこんな奴と・・・と内心思いつつも、お客様に対してはベストを尽くさなければなりません。その点で連帯責任とは、教育における現実社会との折り合いの一つです。複数のベクトルが全て一致する理想的社会ほど、危険な社会はありません。

 とはいえ、意見が合わない者達と過ごすのもまた忍耐なんですよねー。世の中難しいです、はい。

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