下積みの大切さ

 独立研究者となり研究室主催者となって5年目になりました。今週4年生5名が5代目として配属されました。早いものです。その今、下積み時代に思いをはせます。

 下積み時代、つまり若い自分のポスドクや助教の頃です。会社員時代もまあ入るかもしれません。悔しいなと思うこと、理不尽だなと思うこと、たくさん経験してきました。失敗したな・・・と落ち込むことももちろんでした。その時々に憤りを感じたり、また落ち込んだり、大きな力に抗っては打ちのめされたものですが、今となってはその経験が活きています。

 どのようにしたら他人を活かし、また自分も活かされるかを実践できるようになりました。主催者ですから、あらゆることを自分で判断しなければなりません。思い悩むことの連続ですが、結果としてうまく回っていることを不思議に思います。それらは充実した今をもたらしています。

 遠回りと思っていたことが、実は一番の近道だったのだと感じています。

 下積みなく齢を重ねた人は、他者の気持ちが分からず傲慢です。苦労していないことを、自分が世間に認められたことと勘違いします。ただ無責任な周囲から甘やかされただけです。

 優しさは、無責任とも言えます。その優しさは自分を慮ってのことではなく、ただ自分から逃げられているだけではないでしょうか?

 正しい(と本人が勝手に思っている)理屈が、正しい結果をもたらすとは限りません。世の中は、グレーゾーンでできています。下積みのない人は、そんな自己満足に過ぎない理屈をこね回して、最悪の結果をもたらしがちです。端で見ていると、結局何と戦っていたのか、よく分かりません。ただ、自分自身を傷つけているだけのように見えます。ある意味、滑稽で面白く。

 相手には相手の理屈があり、正義があります。本人は、実は本人自身が思うほど大物ではありません。上には上があります。

 他人を活かせない者に、未来はありません。

 平等は、無秩序を招きます。皮肉なものです。

 古人曰く、「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」。

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