研究室選択に思う

 今週、4Eがそれぞれの研究室に配属されました。鷹林研へは5名です。本エネルギーコースでは4E担任が研究室選択の差配をするので、誰が来るかを私はただ見守るだけでした。事前に各教員に与えられた研究室紹介の時間では、業績の紹介、研究室の組織体制と研究方針についてという、ごく一般的な説明内容としました。研究の楽しさをアピール、なーんて価値観の押しつけはしていませんし、そこまで自身の研究に自負があるわけではありません。「これで良いのかな・・・」と自問自答する日々です。

 研究室の選択はジャンケンでも良いのです。しかし、それだとまとまらない可能性があるので、大抵はそれまでの成績順に選択権を与えるところが多いと思います。しかしながら、それは必要悪であり、悪手でさえあります。

 なぜなら、研究室入室以前と入室以後では、全く環境が異なるからです。入室以前は、単純に点数を求めれば良いだけでした。それは基本的に、既に分かっていることを覚えるという、極めて道筋の分かりやすい行為で済みます。例えるならば、料理される具材の成分を覚えることです。

 一方、研究室入室以後では、社会に対するアウトプットを求められます。つまり、美味しい料理を提供することです。それは点数評価、絶対評価できるものではありません。そう、求められるものが全く異なります

 成績の良い学生さんがアウトプットを産み出す可能性は高いでしょう。しかしそれはあくまで可能性であり、確実性ではありません。研究室に入ってから、その秘めた実力を発揮する人は多いです。

 入室前はきっちり授業するので、鷹林研のハードルは高くて単位を取れないかも、もしくは超絶厳しいブラックのように誤解されます。いえいえ、私は選択する学生さんに対して成績を求めたことは一度もありません。それは上記の理由があることと、門を叩いた彼らの秘めた実力を引き出すのが、研究室を主催する上で最も喜ばしくかつ楽しい作業だからです。できないから集まって時間をかけて勉強するのであって、できる人は来る必要がないでしょう。

 研究室ではただ、当たり前のことを、当たり前に行っているだけです。否、世間一般のレベルと比較すると、やらな過ぎでマズいなーと思っているところです。

 逆に残念なことに、研究室に入って以降、輝きが消える人もいます。それは、研究室に過大な期待と理想を自分の中で勝手に作り上げる人です。点数成績が良い学生さんに多く見受けられます。彼らは見た目の華やかさ、理解のし易さ、そして聞き心地の良いフレーズに飛びつきがちです。

 そんな過剰な期待と理想は得てして、満たされません。幻想です。その幻滅による反動ですっかり輝きを失う学生さんは後を絶ちません。成功した道を歩んできているが故、自身の過ちを認めることができず、立ち直るのが困難となります。

 ですからそういう学生さんを防ぐために、私は研究室の紹介に際し、ただ粛々と事実を説明するだけです。欲しい学生さんを強いて言うならば、真っ白で少しだけやる気のある学生さんです。真っ白なキャンバスには、これから自由な絵を描くことができます。偏らず、純粋に物事を吸収していき、描いていくことができます。これまでの自分を変えたい人、welcomeです。

 来る者は拒まず、去る者は追わずです。私の有する価値観が、世の全てではないですから。

 私が経験してきた研究室は、人気のないところが多かったです。だからといって、実力がなかったわけでも、不遇だったわけでもありません。単に選択を避けた人の目が見えていなかっただけでしょうね。

 研究室は、入ってみないと分からないものです。

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