科挙と朱子学とテスト

 学生の皆さんには常日頃、「研究 > 実験 > 座学」の順に重視するように言っています。と言いますのも、世の中で必要とされるのは、「如何に社会に価値を提供できるか?」、言い換えれば「如何にアウトプットできるか?」であって、テストの点数ではないからです。図書館だよりにも詳しく書きましたけど。

 一方で「必要悪」として、テストの成績で席次を決めて諸事を判断しています。決してBestな制度ではありませんが、Betterな制度とせざるを得ません。中等からシームレスな高等教育機関運営の悩みどころです。特に近年はこれが重視されていて、何でも点数で評価する風潮で、懸念を覚えます。点数評価は一見偏りなく平等ですが、無責任でもあります。

 有明高専では、4年次後半から卒業研究が始まります。正に冒頭の訓練です。しかしここで、必要悪が生み出してしまう一番駄目なパターンを懸念します。

 それは、「テストの点数が良いから私は優れている」と思い込んでいる、勘違いさんです。よりはるかに大切な研究や実験はなおざりで、とにかく丸暗記でテスト重視です。数字がハッキリ出て分かりやすいからですからね。思考回路は単純です。

 でもそういう人って、世の中で「最も使えない人」です。アウトプットができない上に、やたらプライドだけは高い。企業にとっては、いや大学など研究機関でも、「最も要らない人」です。

 そんな人はたとえば、何かをするために大学/大学院に入るのではなく、大学/大学院に入ったこと自体に満足する人です。そんなイキリはグローバルな世の中では全く通用しないのに、そういう道を歩みたがる人が絶えることはありません。一体どこ情報??

 これに関して、中国の歴史を紐解いて考えてみましょう。他山の石です。昔の中国の国家は世界最先端でした。我が国の中大兄皇子は百済を助けるために唐・新羅連合軍と白村江で戦いましたが、大きく敗れました。唐の逆襲を恐れて、水城などを整備したり、近江へ遷都したりしたのは有名ですね。その後遣唐使を通じて、日本は唐の先進文化を取り入れてきました。

 その唐も時代が下ると滅び、五代十国時代を経て、宋となりました。日本は平清盛の時代となっていましたが、清盛は宋との貿易を通じて覇を唱えました。引き続いて中国は日本が学ぶべき国家でした。

 このように中国、すなわち漢民族の国家は世界最先端を貫いてきましたが、それも次第に陰りを見せてきました。そのきっかけは、モンゴル帝国が北方から侵攻し、宋は敗れて江南に逃れたことです。南宋です。世界最先端の国家が北方の異民族に敗れてしまったことはとてつもない衝撃で、朱子学というものが生まれました。端的に説明すると、「昔は良かった」という思想です。これと科挙という中国伝統の試験システムが融合し、先端社会が先例重視というものに変容していきました。

 試験と先例重視では、新しいものに挑戦し、自らを研鑽することはできません。ひたすら四書五経と先例を覚えて、良い点数を取ることが専ら重視されます。時代が更に下ってのそのような帰結が、清時代のアヘン戦争を契機とした欧米列強による植民地化です。柔軟な対応能力を欠き、多くを失う羽目となりました。

 古代日本の偉人達は中国から多くを学んだものの、科挙だけは取り入れませんでした。正に慧眼です。やがて国風文化が栄えて、源氏物語を筆頭に豊かで魅力的な日本文化が育ってきました。試験では決して得られないものです。

 話を本論に戻しますと、テストはあくまで必要悪です。テストのみに目を向けるようでは、やがで自らを滅ぼすことになるでしょう。

 まあ、そういう人を生み出さないように指導を頑張るわけです。そして冒頭の順に頑張っている人を応援し、何とか世に出したいと頑張っているわけです。

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