人生長くやってきて、色々な状況に遭遇してきました。それらは大抵、自分にとって不利であり不幸なものでした。若い頃は各々を真正面から力尽くで撥ね除けようと無理をしたものでした。しかし結局損にしかならず、自分は世界一不幸な人間だと悲しんだものです。
しかし今は、一見不利な状況を、どのような手段を以て有利に変えていくかということを考えるようになりました。そしてそれが、人生で一番面白いことだと思うようになりました。
「この仕事イヤだな・・・」と嘆くのではなくて、その仕事から何の利益が得られるだろうかと視点を変えて考えるべきだと思うようになりました。仕事は経験の一つであり、経験からは何かしらの絶対値が得られるもので、決して無駄なゼロにはなりません。その絶対値を如何にしてプラスに変換するかを考えます。さーて、どの手を使い、どのボタンを押してみるべきかなと。それで人や世の中が動くと、面白いものです。
「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」です。殺してしまうのは機会を潰してしまうし、鳴くまで待つのは性に合いません。どのようにしたら鳴かせることができるかを考えます。
卑近な例では、一日の過ごし方です。3E担任として彼らの下校を見届けるまで勤務しておかなければなりません。否、見届けることは義務ではありませんが、放っておいて先に帰宅するというのも気が引けるところです。なんやかんやで帰宅は20時を過ぎます。

金曜日のスケジュールもそうです。SHRが終われば4限まで授業はありません。
しかしこれらの時間、どうせ校内から離れられないのなら、有効活用できないかと考えた方が良き人生になるのではないかと思います。「小人閑居して不善を為す」です。適度な縛りがあった方が、却って仕事は進みます。学ぶことも同じです。
もちろん、全くもって嫌なこと、マイナスにしかなり得ないことをする必要はありません。断る決断も時には必要です。若い頃は悪意の塊みたいな者達に囲まれていて、お人好しで安請け合いしては損をし大いに悩んだものです。
しかし、歳を経るにつれて人々に恵まれてきました。コツコツやっていれば、世の中の誰かは見てくれています。派手な者ほど落ち目は早いです。そう考えながら個々の昔を思い出しては、「もっと頑張れたのではないか」と反省します。例えば、昨年度は副担任という気楽な立場だったのですが、気楽に甘えて時間の有効活用に関して不十分だったと反省します。もっとできたのではないかと。
禍や縛りの下で不断の努力を続けることでこそ、福は来るものです。そう、
“Heaven helps those who help themselves“
です。その昔、日本で一番難しい高校の入試問題に出ていたので、覚えています。
不断の努力って、言うのは簡単ですが、実際は世の中にこれほど難しいことはないです。前途ある学生さん達の頑張りに合わせることで、自分も努力を続けていくことができます。
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