保身とは何か?

 「保身」という言葉は、良い意味で使われることはありません。しかしながら、世の中にはそう見えてしまう、ないしそう断言せざるを得ないケースが多々あります。良い意味ではない言葉が何故このように多く使われるのでしょうか?

 それは、「能力もないのにその地位に就いている」ということが根本かなと思います。年功序列とかで。日本の組織ではありがちです。ならば潔く辞すれば良いとなりますが、そう簡単ではありません。それは、その人は能力がないのですから、その地位をなくすと生きていけないかもしれないからです。生存本能ですね。能力に相応しくない肥大化したプライドもあるでしょう。

 保身はベクトルを狂わせます。本来顧客、アカデミックで言えば学生さん&保護者、の方を向いていなければならないベクトルが、我が身と組織内政治に向きます。そうして行くうちに、組織は次第に腐敗していきます。大企業や親方日の丸組織にありがちです。自身の腐敗ごときで大船は沈まないと思うからです。何かをすると目立つし、しんどいから、何もせず黙って定年まで過ごせればOKみたいな。

 アカデミックの世界の場合を考えてみます。博士号取得後、アカデミックを志す人はまず博士研究員、つまりポスドクとして武者修行の旅に出ます。日本全国に止まらず、海外へも。その経験を重ねていきながら、助教のポジジョンを狙います。いくつもの公募書類を書きながら、自らの本当にしたいことは何かをbrush-upしていきます。研究・教育双方の抱負と心構えが必要とされます。

 助教の次は准教授となりますが、ここは最も狭き門です。かつ助教は任期制、つまり就労期限が決まっているところが多いです。大体5年くらいでしょうか。この時点で、企業に転身する人が多くいます。かくいう私も、その一人でした。幸運にも、戻って来られましたけど。自分で言うのも何ですが、結構奇跡的な部類に入ると思います。

 そして最終関門の教授に至ります。教授職は10年くらいの任期制であるところもありますが、多くは終身雇用です。

 ただいま私は准教授です。准教授職の扱いは教授と大体同じです。違いは、組織運営に関われるかどうかの違いくらいで、研究者としては大差ないのかなと思います。あとは体面くらいなのかなと。個人的は、特に地位に困っていない今日この頃です。

 このように、アカデミックの人達は各関門をクリアするために、必死に研究業績を上げます。保身とは縁遠いかなと思います。

 しかしながら、単なる年功序列の昇進システムであるところもあります。そこは腐敗の温床であり、保身だらけかな~と思います。学会登壇や論文執筆なんてしんどいわ~的な。そんなことしなくても地位は保てるしみたいな。そうかな?

 というわけで、地位に負けないように、自分を磨いていきたいと思います。自分の足で立ち、自分の思う道を歩める人生でありたいと思います。保身とは無縁に堂々とです。もちろん、学生さんFirstですよ。

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