教えることと、教えないこと

 日々授業やってます。今回は、授業について考えてみます。

 授業は、「座学」と「実験/実習」の2種類に大別されます。当たり前の種別ではありますが、個人的にはそれぞれへの対応は正反対にしています。矛盾でしょうか、いいえ。

 「座学」では、「基礎学力の徹底」をモットーに、細かい基礎から詰めていきます。丸暗記させるのではなく、何故そうなるかの説明を心がけています。学生さん達の年齢では、生理学的に暗記は大の得意です。何を意味しているか分からなくても、脳内に記憶させることができます。

 しかし世の中で真に求められるのは、知識の記憶量ではなく、知識を活用する力です。知識を活用して有形無形の課題を解決するのに、丸暗記では歯が立ちません。基礎学力が結局、モノをいいます。なお、基礎学力理解のための暗記は否定していません。

 他方の「実験/実習」では、学生さん達の自主性に任せ、こちらからは特に指示はしないようにしています。電子分野を見ていますが、弱電である電子分野では、たとえ間違った配線をしたとしても、回路が動かないか素子が壊れるだけで、死にはしません。個々の電子素子は大した金額ではありません。

 実験とは、自分で実験装置を組んで、測定して、結果をまとめ、結果から何が導けるかを考え、レポートにまとめるものと思います。自ら手を動かさなかった実験レポートに、何の価値も見出すことはできません。たとえどんなに体裁が美しくても。

 ↑な考えに至ったのも、大学/大学院で高専卒の人達を複数見てきて、残念だな~と思ったことが2つあるからです。

1. 指示されたことはできるが、指示されないと難しい。

2. 専門知識に驕る。

です。1.に関しては、5年間という限られた期間で専門知識をマスターさせる以上、どうしても指示・詰め込み型の教育になりがちです。しかし上述のように、世の中で求められるのは、知識を活用する力です。活用とは、指示されて行うものではないでしょう?

 2.に関しては、高専が専門教育に特化した教育課程である以上、高専生は普通の大学生よりも2年ほど専門性が先行しています。そのため、いざ優秀な成績で大学/大学院に進学してみると、程なくして、周囲は自分よりも専門知識がないことに気づきます。

 そして、驕ります。最も犯しやすい間違いを犯します。普通科高校から上がってきた大学生は専門性が足りていませんが、その分、文科系などの他の科目は足りています。「自分の専門外のことは、自分よりもよく知っている」ことに気づくべきですね。これらは単に教育を受けた時間の差ですから、年月が経つと差は縮まってきます。出身校がどうこうよりも、個人の努力差で決まるようになります。驕り続けていると・・・。

 対応が矛盾しているようですが、理念は一貫しているつもりです。

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