人生長くやっていると、後悔することはたくさんあります。中でも最も選択を誤ったなと思うのは、中学受験をしなかったことです。
中学受験をする先というのは、まず中高一貫進学校ですね。高校受験からそんな進学校に行き、それなりに有名な大学に入って、今は准教授という肩書きを得たのですから、中学受験をしていたとしてもゴールは結局同じだったかもしれません。
しかし後悔するのはそういう受験的なことではなくて、教養を積む時間を失ったということです。大学受験からまだ程遠い中学3年間で、高校受験に囚われずに教養を積んだり(たとえば読書)、はたまたスポーツに勤しむ時間を失いました。これらの点では、今でも引け目を感じます。
中学受験をしなかったのは、一人みんなと別れるのが寂しかったからというセンチメンタルな理由でした。けど小学校の卒業を迎えて、親しかった友人達が進学していくのを見て、とても後悔しました。
さてさて、本題はそんな昔話ではありません。高等教育を目指す者にとって、学校の選択は修業年限が長いものが望ましいと思います。中高一貫校なら前半の3年間、高専なら2年間、大学も2年間程度は、進学や就職活動といった世俗なことに囚われず、好きなことやりたいことをじっくり深く掘り下げることができます。そんなゆったりとした時間、冒険であり修養である時間が、若い頃には絶対に必要です。テストは必要悪でしかありません。
高専の初めの2年間はほぼ一般科の範疇ですので、専門課程所属の私にとってはほぼ縁がありません。高専のカリキュラムは厳しいのですが、学生の皆さんには教養を積んで欲しいなと思います。それだけの学力はあるので。専攻科も、研究半分教養半分といけば良いのですがね。専門バカは、やはりバカです。
大学&大学院は結局10年間いました。けれど、教養を積むという点では不十分だったと思います。もっともそれは環境のせいではなくて、私の無知のせいだったのですが。無知はどこから来たのか? やはり中学の無為な時間だよなと。
そんな訳でこんな歳になっても、教養、すなわち真の知を追い求めます。
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