原子力と日本人とマックス・ウェーバー

 電気料金が高騰している昨今、原子力発電所の反対運動が静かになったような気がします。こちらエネルギーコースにいますと、その専門授業があることもあってか、自ずと原発の話が耳に入ってきます。耳を立ててみると、原発は安全設計に万全を期していることが分かります。へー、よくできているなと。

 時を遡ると、2011年3月の福島のときは仙台で被災しました。地震後間もなく、避難所で河北新報という地元紙に目を通すと、メルトダウンのトップ記事。我が目を疑ったものでした。

 さて、昔からずーっと思っていたことがあります。原発反対運動自体は否定するものではないですが、その人達は併行して「節電」を唱えたり実践しているのだろうかと。原発の低コストは魅力的であり、かつメルトダウンしない限り、例えば火力と比較したクリーンさは棄て難いものがあります。資源の乏しい我が国にあって、エネルギー供給の安全保障の点から、原発を選択することは現実的な選択かと思います。

 これから暑くなってきます。まさか、クーラーつけまくって運動しませんよねぇ?

 物事には、表裏両面があります。それを踏まえた上の主義主張ならば、方向性がどうあれ、個人的な可否がどうあれ、受け入れます。しかし現実はというと、ある極値点だけを取り上げて主張する人が多いかと思います。

 遠いどこかの国では原発を廃止したそうですが、その分隣の原発大国から電力を輸入していることは、一体どうなんでしょうかね。

 再生可能エネルギー? 不安定な代物ですよ。工業を維持できるかなと。

 何事もバランスです。あいまい大好きな日本人ですが、皮肉にも議論すべきと気になると、極論大好きな人に変身します。これは社会科学的にどうなんでしょうね?

 なーんてことを、マックス・ウェーバーの「職業としての学問」を読み返しながら、ふと物思いにふけます。

 さてもさても。

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