教育と研究

 高専の特長として、学生達が頻繁に居室に質問にやって来ます。普通高校や大学にはない、良い文化だと思います。逆に呼び出してお説教したりもしますけど。

 人にモノを教えるためには、教わる側の10倍勉強しておかなければなりません。

 人をお説教して諭すためには、これまた諭される側の10倍勉強しておかなければなりません。高校時代、ある先生が言ってました。「叱ることのできないやつが、大学の先生をやるのだ」と。勉強と愛情を兼ね備えていなくては、叱ることはできません。

 「授業が分からない」ということは、教わる学生の責任が半分、教える教員の責任が半分です。対等です。短い夏休みは、ひたすら講義プランを考えてました。う゛~~ん。どのように日々ステップアップさせて、導いていくかを。単に教えるだけなら、著名な教科書を与えておくか、YouTubeでいいわけですし。

 教育のために10倍勉強するのは、今ある畑を耕し直すことです。記憶の中の断片と断片が繋がります。しかし、より良い畑にするには肥料を新たに投入しなければなりません。これが教育に対する、「研究」の意味だと思います。誰に強制されるでもなく、模範解答があるわけでもなく。

 研究には、書物が付き物です。私の居室に来た人は大抵、本が多いことに驚きます。いやこれ、業務に関係しそうなもの(理系)に絞っているので、自宅にはまだたくさんありますよ。会社員時代は会社におけなかったので、自宅は本で溢れかえっていました。

 教育と研究は、車の両輪です。未来を見据えて過去を見つめ、過去に学び新たな未来をつくる。温故知新ですね。

 そんなコラムを「炭素」という学会誌の最新号(No. 294)に書きました。興味ある人はご連絡下さい。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/tanso/2020/294/2020_029410/_article/-char/ja

 ちなみに、農業の趣味はありません。良い列車で街をつくっていくのは好きです。

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