当初はいきおいで立ち上げたこのホームページでしたが、いつの間にやら日々の趣味となりました。日々の業務に忙殺されていますので、趣味は欲していません。それよりもじっくり考えることができる自由な時間が欲しいです。・・・が、趣味となりました。
特にフォロワーを欲しがったわけではないですが、全国の高専、大学、そして企業の方々が閲覧してくださっているようで、まあ人生ボッチではないなと安堵しているところです。
昔を思い出せば、ちょうど学生さん達と同じ年の頃はインターネットが世に出始めた頃でした。スマホどころか携帯電話が珍しい時代でした。さらには下宿に電話がありませんでした。さすがに電話がないのは不便なので、加入権を買って部屋に引きました。加入権・・・、死語ですね。
そんな当時、今と同じようにホームページをつくってみたことがあります。大学のサーバを使って、見よう見まねで。まだHMTL 2.0の時代でしたので、デザインは現在のものに遠く及びません。中身は今と変わらないスタイルでした。
しかしながら若くて世間知らずだったこともあって、語れるネタも少なく、半年くらいで止めたと記憶しています。何か、何でもいいから、語れる人に憧れたものです。
さて、そんな自分の若い頃と比べれば、目に映る学生さん達は「基本的に」優秀です。今はスマホから色んな情報を手に入れることができて、容易に広いネットワークがつくれて、そして実際に留学などで自由に羽ばたくことができる。良い時代です。
でも年の功です。遠回しにアドバイスすることがあります。
何故遠回しかというと、「角を矯めて牛を殺す」愚を犯したくないからです。他人に厳しくしようと思えば、いくらでも埃は見えてくるものです。しかしその埃を責めることで、却ってその学生さんの良さを潰しはしないかと恐れます。世の中というのは相対的なものです。絶対的な価値観というのは難しいものであり、また恐ろしくもあります。
とはいえ、「あー、コケるな、ありゃ」と思うことは多々あります。何回かコケてみるのも勉強かなと見守っています。
歳を取ったこともあり、最近の若い人の傾向を聞いたり考えたりすることがあります。保護者や有識者の方の話を伺うと、どうも今の子達は自己肯定感が強いそうです。自分の希望など主張をはっきり発言する一方で、困難からは逃げる傾向にあります。攻撃力∞、防御力0です。少子化なのに大人の事情で定員削減はしないため、結果として競争力は落ちています。だから逃げても差し当たり困らないでしょう。叱咤が叱咤される時代ですから。国内ではね。
デジタルの時代を象徴するような香車みたいな人材が増えている気がします。多様な知識をベースにして、バランスを取って物事を考えることができない。特に高専はある意味偏った教育をしていますので、心配ではあります。
コロナ下でのオンライン主体の教育は、やむを得ない事情だったにせよ、失敗だったとしか思えないです。学力の低下は否定しようがないです。
試験内容が自分の絞っていたヤマから外れたら、大騒ぎする。まあ、これは昔からぼちぼちあることではありますが、自分の望みと外れるすなわち自己肯定感を傷つけられるからか、行動が顕著。叱咤が叱咤される時代ですから。↑の肯定感をベースに考察していけば、納得です。このような社会心理学的考察は好きです。もしこの方面に才能があったのならば、その学者として生きてみたかったです。現代版兼好法師や一休禅師みたく。
成果を欲しがる一方で、そこに至るための地道な努力は嫌がる。例えば、大学/大学院に進学すれば、当然厳しい研究活動が待っているのですが、そこはスルー。とかく看板(学歴)が大事。
チャレンジを促せば、前例、すなわち先にやった結果がないからハラスメント。ご先祖様は京都のお公家様だったのでしょうか。自身の努力が足りないのを棚に上げて、授業単位を落としたら、教えた方がハラスメント。一方でお上は、「試験は簡単にしてはいけない、されど落としてはいけない」とあり得ない矛盾を言ってきますね。頭がティファールかよと。
差し当たり困らないでしょうけど、結果の差が激しくなっている気がします。「基本的」に優秀だし、超優秀な子はいるんですけどねー。まあ、個性と言えば個性なんでしょうが。一つだけの花にはなれますが、好かれる花になれるかは分かりませんね。
徒然なるまま、ではないけど。
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