県境を散歩 de 地元学

 休日、お息子さんと県境を散歩しました。お息子さんは、マイカーでのお散歩が大好きです。ただし、エンジンが元気でないとなりませんけど。

 福岡県大牟田市と熊本県荒尾市の県境は、地元の人でない限り、まず分かりません。大「牟田 (※湿地の意)」と「荒」尾ですから、古代は諏訪川の湿地と荒地で、境を厳密に定める必要がなかったのでしょうか。現に、主要街道(豊前街道)は山間部の南関町を通っていました。関があったから、南側の関ということで南関なのですね。北関は国境を挟んだ北隣(筑後国)の、福岡県みやま市山川町北関です。

 こういう境界はわりと好きです。でも思い返すと、昔からというわけではありません。

 大学時代は大阪に居ました。大阪府は摂津国・河内国・和泉国の三国から成り立っていますが、特に境を気にしたことはありませんでした。大阪府堺市にある府立三国ヶ丘高校は、府下屈指の進学校です。堺は「境」の意で、上記三国の国境があるから「三国ヶ丘」ですね。大学時代は周りにそこの出身者が多数いましたが、それでも境を特に気にしたことはありませんでした。

 通っていた大学は、千里ニュータウンの傍にありました。親戚が居るので、ニュータウンのことは大学以前の幼い頃から知っています。ニュータウンは大阪府吹田市と豊中市に跨がっていますが、それも特に気にしたことはありませんでした。

 境が気になり出したのは、前職に勤めてからでしょうか。前職に入社する直前、広島大学時代の教授の退官パーティーに参加しました。そこで、これから入る社と親しい会社の社長さんを紹介していただきました。その社長さんが「みゃーみゃー」としゃべるので、びっくりしました。広島県人のはずなのですが・・・。

 入った会社は、広島県福山市にありました。広島県は、安芸国(安藝國)と備後国から構成されています。江戸時代は広島藩浅野家でした。高校は、その浅野家が作った旧広島藩校でした。しかし県内でも現在の福山市に相当する地域は別で、徳川譜代大名が交代で入っていました。つまり、三河国の人達です。西の先の長州藩(※周防国(防州)も含んで。現山口県)毛利家への監視です。ですから、福山で働き、住んでいると、「みゃーみゃー」と言う声がよく耳に入ってきました。同じ県内なのに不思議な感じでした。

 さらに福山市は広島県の東端で、すこし車を東に走らせれば、そこは岡山県(備中国)です。社には、岡山県の人も多数おられました。広島県人と岡山県人を見分けるのは、容易です。それは、生活にカープがあるかないかです。帰社後に自宅のテレビでカープ中継を見たり、休日にもしくは有休を取ってマツダスタジアムに通う文化は、岡山県人にはありません。

 実家呉市は安芸国です。安芸国と備後国の境は、呉市から福山市へ向かう途中にある三原市です。新幹線の三原駅がありますね。三原の旧市街は備後国です。そのすぐ南に流れる沼田川(ぬたがわ)が南の国境で、その先は安芸国須波(すなみ)の町です。西に向かうと県立広島大学がそびえ立つ山が迫ってきて、山は沼田川に注ぎ込みます。遠く駿河国の薩埵峠みたいな感じかな。これが西の国境で、その先は安芸国本郷の町です。現三原市は、須波も本郷も含んでいるハイブリッドな市です。

 ちなみに安芸国広島市にも沼田川がありますが、こちらは「ぬまたがわ」です。同じ県内なのに、読みが違います。

 実家広島県呉市広町は安芸国賀茂郡ですが、呉の街(中央)は、安芸国安芸郡です。途中の呉越峠が境です。こちらは境であることは腑に落ちます。ただし、峠には中学校(市立東畑中学校)があり、峠の両サイドの生徒さんを集めています。

 境は気にしないようで、気になります。また気になるようで、気にしないものでもあります。

 皆さんはどうでしょうか。

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