出ない杭は捨てられる

 電気磁気学や回路設計など、様々な授業を担当しています。しかしどの一つも、大学時代に机に座って教えられたものはありません。研究関係の量子力学も真空工学も物理化学もそう。いや、最後の物理化学は真面目に勉強しておかなきゃならなかったのですが・・・。

 学問とは本来、強いられて行うものではありません。強いられていくら良い成績を取ったとしても、それはほとんど頭に残らず、血肉にはなり得ません。

 誤解を恐れずに言えば、高専生に決定的に足りないもの。それは、学ぶ意欲であり動機。学ばされ、厳しく評価されているから、彼らは見た目には一定以上の学力は身につきます。しかしやらされている立場を続けているならば、所詮は付け焼き刃。卒業したら、いやそれを待たずとも学年が上がると忘れていきます。

 学齢が低ければ、強制力は意味を持ちます。「九九を覚えなさい」です。強制から自主・自律へ成長していく過渡期に高専の教育課程はあります。通常の高校→大学ルートならば、大学受験という関門で自主への明確な境目がつくられていますが、5年生の高専はそこがシームレス。連続性の中での受け渡しが難しいところです。

 高専の教育システムは素晴らしいと思いますし、教える側も勉強になることが多いです。その一方で、学生の日々の成長への理解を深めたシステムの洗練は、継続が必要だと思います。

 私が着任する少し前に単学科制から総合学科制になって、専門選択をする学齢が上がりました(2年後期)。専門選択が遅くなるので専門授業年限がキツくなるデメリットはあります。しかし義務教育から離れて入学し、学齢を重ねて広がる世界を知ってからの選択は、動機という見えない指標にとってはプラスなのではないでしょうか。

 総合学科制になってから専門学力が落ちているか? 事実は逆です。それはカリキュラムの改善というよりも、学齢を踏んだ自主性の高い選択を各自がしているからでしょう。

 その一助になるか分かりませんが、補講等の課外展開に積極的に取り組んでいます。正規授業だけではケアしきれない学問の続きや、自主的な探求のために。決して強制はしませんし、そもそも課外なのでする権利もありません。興味あればどうぞと。結局学ぶか学ばないかは、どのように強制しようとも、本人次第ですから。

 しかし教員は学生諸君に、学ぶ「きっかけ」を与えることはできます。補講とは、きっかけを掴む機会です。

 例えば正規実習では、充分以上の道筋と量を用意しています。すると、手を動かすよりも先に答えを求めてくる学生がいます。評価の厳しさの弊害かなと思いつつも、規律を守るためには厳しさもまた必要なわけでして。教えるのは簡単です。しかしそうすると単位は取れるでしょうが、閉講後数ヶ月もしないうち、いや次の週にはに忘れていくでしょう。

 別に正解を求められなくても良いのです。放課後に残って、右往左往しながらも、きっちり悩んで考えてくれたら良いのです。そのような自主探求の補助のために、過分な量を用意しています。決して評価のハードルを上げるためではありません。

 私の担当している授業、私が研究している分野が万人の役に立つとは思いません。しかし学生諸君の何かのきっかけになれば良いなと、それなりにベストを尽くしているつもりです。

 出る杭は打たれるでしょう。しかし、出ない杭は捨てられます。

 出すぎた杭は、もはや打たれません。

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