総合学科制とLiberal arts

 受験シーズンですね。

 いい歳をしてなんですが、私、今もって「勉強しなかったこと」にうなされる夢を見ます。潜在意識の中での後悔なんでしょう。

 さて、ここ有明高専は創造工学科という総合学科制です。2年後期からの専門コース配属で希望のコースに行くために、入学早々必死に勉強している学生さんも多いことでしょう。

 でも制度の反面として、希望のコースに行けない学生さんも当然出てきます。

 それって人生のマイナスなんでしょうか? 私はそうは思いません。

 私は大学受験に失敗して、応用化学科に回されました。化学は嫌いではありませんでしたが、そこに夢はありませんでした。

 モチベーションが低いので、大学1、2年の頃は勉強しませんでした。ただ、受験勉強の毒を抜く意味もあって、教養課程を含んだこの時期のカリキュラムは楽でした。しかし3年になり純専門課程になってから、カリキュラムが途端に厳しくなり(※どこでもそのようです)、嫌でもやらざるを得ませんでした。ちなみに、大学生は遊んでいませんよ。少なくとも私の周りでは。

 「人生で一番忙しかった時期はどこか?」という問いの答えは、間違いなく大学3年です。毎週毎週、演習(テスト)に実験に英語論文購読。一番キツかった時期はという問いには、大学4年になってからの卒業研究です。何も知らないのに、毎日ただひたすら実験研究。後年の博士論文研究も決して楽ではありませんでしたが、ある程度経験を積んでからなのでまだマシです。研究者生活も同様です。

 化学が楽しくなってきたのはいつからか? 修士1年後半くらいからでしょうか。ようやく全体像が見えてきて、実験技術も上達し、何をしているのかが分かってきて。

 冒頭のうなされる時期は、決まって大学1、2年の頃です。望んだ道ではなかったのにです。

 有明の話に戻りましょう。希望のコースに行けなかったのは、裏を返せば、「違う世界を学ぶことができる」ということです。希望でないことを敢えて学ぶことで、希望の山を別の観点から見ることができます。有名な宮大工の棟梁が農学校で学ばされたように。高専は、卒業してもまだ20歳(くらい)。人生まだまだスタート地点です。

 化学をさほど好きでもなかったのに叩き込まれた私は、その後、物理やこの電気の道を歩むようになってからこれが大いに役立つことを知りました。なぜなら、全ては材料という化学物質の上に立つのですから。

 逆もアリでしょう。物理は全ての現実の基礎理論であり、電気はあらゆる科学的活動にはなくてはならないものです。英語を深く学ぶことによって、かえって日本語を良く知ることができるとも言われます。なるほど、日本語で論文レポートを書く際、個々の文章の意味筋が通っているかを確かめるために、文法が厳密な英語に置き換えて見直したりします。

 「人間万事塞翁が馬」です。ピンチは、視点を変えればチャンスです。今見える世界に一喜一憂するのは、もったいないということです。

 これがホントのLiberal artsかと思います。そういう意味では、歩んできた道は満更でもなかったのかなあ・・・、Nightmareさん。

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