教えられなかった不幸と叩き込まれた幸福

 担当授業で受講学生さん達からアンケート評価(匿名)を受けるというシステムがあります。先日結果が出ました。反省する点もあれば、う゛~んと思う点もありました。

 担当している電気磁気学(電磁気学)のような基礎理論は、忌避されるものです。今も昔も。電磁気学を大好きという人はあまりいないと思います。

 しかし、化学を専攻してきたものの立場から見れば、電磁気学ができる電気の人は尊敬に値します。回路理論は何とかなるかと思えますが、電磁気学は一朝一夕にとはいきません。

 評価では、分かりやすいという嬉しい回答もありましたが、基礎から徹底しているので、真逆の評価もありました。何のトリックもテクニックもなく、ただただ基礎からやっており、試験も論述一本ですからね。ド直球です。

 「学問に王道あり」とは、高校時代の化学の先生がよく仰せでした。そのココロは、「基礎の鍛錬」です。

 楽にさせることはいくらでもできます。ただし一番恐れるのは、「教えられなかった不幸」です。「伸びこぼし」とも言い換えられます。

 「上位ばかりに目を向けるな」との批判を受けます。しかし、学生さん達の折角の才能を潰すことは、教員としては取り返しのつかない最も愚かな行為と思います。上を目指して向学心に燃える学生さん達の頭を押さえつけて、世の中の誰が幸せになるのでしょうか?

 もちろん、現レベルに応じた2パターンの補講は行いました。誰一人見放すつもりはありません。今できないのは、決して能力が低いわけではなく、花が咲くのが周りよりも少し遅いだけです。現段階で学生さん達の未来を決めつけることもまた、非常に愚かな行為です。

 難しい事柄は、「昔、鷹林がワケワカランこと言っていたな~」という思い出になります。そう言えるということは、頭の片隅に1%でも教えられたことが残っているということです。0.01でも残っていれば、もし長い人生のどこかでそれが必要となったとき、100努力すれば0.01 x 100 = 1の力を得ることができます。

 しかし難を避けて教えられなかった場合は、その知識は0のまま卒業です。後々どんなに努力しても、0 x 100 = 0のままです。

 受身の立場の学生時代や新入・若手社員の20代なら問題ありません。しかし10年後、20年後、社会を支える年代になり、部下を5人、10人、100人と束ねて行先を切り拓く立場になったとき、教えられなかった不幸はその身に直撃します。

 「先に進めない。

 そして自分はおろか、部下や家族までも不幸に陥れることになります。

 「こんなの俺の人生に必要ない」って?  アナタはよく当たる占い師なのですか。因果律は、量子力学で否定されていますよ。

 我が身のことを言いますと、化学出身ですから、今現在活用している物理や電気の知識は、ほぼ独学で得ました。教えを請うこともありましたが、手取り足取り教えてくれる人なんて、社会にはまずいません。誰しもそんなヒマ人ではありません。自分のことだけで精一杯です。

 一方、化学出身なので、学生時代に有機化学を叩き込まれました。今でも内容は忘れていません。楽しく学んだという思い出は一つもありません。しかし今や材料科学者の端くれですから、化学の知識と無縁というわけにはいきません。都度都度考察する度に、有機化学の知識は役立ってきました。もし有機化学を独学しなければならない立場であったらと想像すると、空恐ろしくなります。

 「艱難汝を玉にす」です。小手先は所詮、小手先なのです。みなさんが今やっていることは、芯(基礎)ですか、それとも小手先ですか?

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