考えさせる教育とは

 昨今、考えさせる教育、創造性の教育が流行っています。自分の頃にはなかったものです。ちょっと考察してみたいと思います。

 以前にも述べたように、世の中で真に求められるのは、知識の記憶量ではなく、知識を活用する力です。

 この観点からすると、これら教育は適しているように一見思えます。「一見」です。

 なぜなら、これらには前提条件があるからです。「基礎学力」です。基礎学力とは、手を鉛筆で汚して反復練習をすることによってこそ、身につけられるものです。創造性はありません。このような詰め込み教育は悪玉とされることが多いですが、私はそうは思いません。古い人間でしょうか。いや、学ぶ基本は、孔子の時代から変わっていないと思うんですがね。

 子曰く、「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」と。

(※孔子の「子」は尊称なので、孔子様は二重敬語に当たります。褒め殺しの二重敬語は無礼です。社長様とか部長様とか、最近言葉が乱れていますね~。)

 化学の世界から物理の世界へ出て、さらに電気の世界にやって来て、今はその基礎中の基礎である電気磁気学を教えている立場です。多くが厭うそれを何とかこなせているのは、どこに礎があるかといえば、高校時代の数学だと思っています。

 高校時代、数学は特に厳しいものでした。授業時間数も飛び抜けて多くて進度も早く、日々追いつくのがやっとでした。定期試験は如何にして0点を免れるか、皆必死でした。平均は20-30点だったんじゃなかったかな(※高専とは評価基準が違います)。進学校とはいえ、高2の段階から定期試験は有名大学の入試問題レベルで、かつ入試時間より持ち時間が少なかったです。「これくらいできるだろう」と、数学の先生。いやいやいやいや、ムリっすよ。高3のとき、一回だけ0点を取りました。

 しかしそのおかげか、数学を比較的必要としない化学の世界に浸かった後の今でも、数学力は人並みをキープできています。電気磁気学は、数学力です。しかも、やればできる地道な数学です。

 ちょっと話がずれました。考えさせる教育を司る立場の者は、心しておかなければなりません。それが「自己満足」でないかを。考えさせている、という自己満足に陥っていないかを。社会はそれを本当に求めているのかを。「考える」という道は、こちらが用意するものではなく、学生さんが自分自身で選ぶ道です。

 結局、損をするのは学生さん自身です。いくら弁が立っても、基礎学力のない学生を企業、ひいては社会は相手にしません。しかも社会に出ると、基礎学問を学ぶ余裕はありません。日々の糧を得るのに精一杯。強い意志がない限り、知識はひたすら持ち出しです。

 他方、考える機会はいくらでもあります。製品企画・設計から経営判断まで、いくらでも。そしてその拠り所は、基礎学力以外にはありません。誤った判断は、周囲も不幸にします。信に足る基礎があってこそ、人は前に進めるのです。

 古人詠みて曰く、「規矩作法 守り尽くして破るとも 離るるとても 本を忘るな」と。

 下手な色気を出すよりも、古典に学べです。

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