企業経験と学生委員と議論と就職活動

 先月末は、ありタムフェスタ(体育祭)でした。コロナ禍中に高専に来たので、これが初めて経験する大イベントでした。私、学生主事室に詰める学生委員の一人でありまして、中心に動く学生会をサポートすべき立場なのですが、仕組みが何も分からず、ただただ見ているだけでした。よく頑張ってるな~と、濃いお茶をすすりながら感心しつつ・・・、すいません。

 メインイベントの演舞も一通り見ました。個人的には、Aコースの芸術性の高さに最も感心しました。次いで、Mコースの修練度の高さに感心しました。いずれも他コースとはいえ、良いところは素直に認めて学びましょう。悔しくはありますが。将来に期待します。

 閑話休題。私、学生時代から通算すると大学/大学院に20年いました。その間、先輩から同輩から後輩まで、多くの学生達の就活を見てきました。そういう年月を過ごす中で、「企業経験のない自分が彼らの相談に乗って良いのだろうか・・・」とか、「彼らは社会で成長していくが、自分は成長しないのでは・・・」という不安が、心に蓄積していきました。

 これが神さまに通じたのでしょうか。主体的意思ではなく、昨今の社会的問題の成り行きではありますが、直近5年間を企業人として過ごすことになりました。

 企業として最も大切なことは、ISO9001:2015の主目的でもある、「顧客満足」です。企業では、全ては顧客のために動きます。個人のスケジュールは二の次です。ただし、集団で動くので、個人責任は小さくなります。責任は、取締役にプレゼントです。

 高専に来てから、業務量は増えました。担当授業は自分の責任において計画する一方で、スケジュールには裁量権ができました。企業とは正反対の環境となりましたが、その善し悪しは個人の感覚となるでしょう。

 「高専で顧客とは誰か?」を考えれば、それはもちろん、学生さんとその保護者です。すなわち、学生のために昼夜なく東奔西走するのは至極当然のことと、企業生活でROMインプットされました。もしその熱意が欠けたとき、それは去るべきときだと自分に言い聞かせています。

 学生委員としては、学生生活のサポートをしつつも、ルールを学生に守らせなければなりません。しかし、組織は生き物です。ルールや制度は、時代により変えられるべきものです。一方で、守るべき伝統や、社会の期待とニーズがあります。変える際には、その妥協点を見つけ出さないとなりません。「自由には必ず、責任が伴う」ことを踏まえた上での、正々堂々の議論は歓迎するつもりでいます。

 誰しも、最終的には就職活動をします。「弊社を選択した理由は?」とか、「弊社でやりたいことは?」とか、「弊社の活動を通じて自分をどのように成長させたいか?」とか、定番の質問ネタがやって来ます。答えるのは当の学生さん一人一人で、模範解答はありません。

 前にも述べたように、高専は制度上、どうしても教員トップダウンの詰め込み型になりがちです。でも、学生皆さんに最後に求められるのは、これら質問のような「主体性」であり、発言の底力です。

 というわけで私、可能な限り、学生さん達の主体性を尊重したいと思っています。もちろん、以上の根拠となる基礎学力教育については全力を尽くしていきたいと思います

 学生一人一人、生まれも育ちも違うのだから、意見は異なって当たり前です。幸か不幸か、世の中の限られた空間内で、人生で最も多感な時期を5年間も一緒に過ごすのですから、意見をぶつけ合って、お互いを高めていって欲しいなと思います。

“Frankly, we did win this election.”

“We believe we are on track to win this election.”

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