思考の忍耐

 高専教育に最も欠けていると考えているものがあります。それは「思考の忍耐」です。

 高専教育は、5年間の完成教育を標榜しています。普通科高校+大学の計7年間より2年も短く完成を求めています。ですから、自ずと専門分野に特化した詰め込み的な教育体制となっています。

 高専教育は、高等教育を謳っています。高等教育と中等教育の最も大きな違いは、冒頭の思考の忍耐力を求めていることにあると思います。平たく言うと、読書です。本を読むことは読解力を要します。読解力とは、文章を辿りながら思考を整理し、それを自らの血肉として構築していくことのできる力です。

 とりわけ今は、インターネットとAIによる情報過多の時代です。ちょっと検索することで、必要な情報を得て、「一応の」解答を得ることができます。「一応の」と括弧書きを付けたのは、思考過程が無視されているからです。単に解答を押しつけられているだけで、人間の知的活動とはかけ離れているからです。俯瞰すると、行っていることは、原始時代と何ら変わりはありません。

 先に述べたように、賢い人とは、価値判断と道の選択ができる人と定義しています。押しつけられた解答だけで、これらができるとは到底思えません。売り家と唐様で書くだけです。

 思考の忍耐が欠けていると思うが故に、これを日々の教育活動で少しでも補おうと重視しています。例えば座学においては、基礎の基礎から始めています。試験においては、論証を重視しています。試験時間に比べて問いを少なくしています。英語の試験にありがちな、速記性とは真逆です。

 学生実験、実習、そして卒業研究活動では、手を動かすことを必須としながら、その後の思考過程を重視しています。人間は二足歩行を始めて両手が自由になったことにより、知恵を積み重ねてこられました。知恵がなければ、あまりにも弱い動物です。足が速いわけでもなく、空が飛べるわけでもなく、鋭い牙があるわけでもない。寒さにも暑さにも弱い。

 もちろん、想像以上の結果を示す驚嘆すべき学生さんがいるのがまた面白いところです。

 誤解を招かないよう強調しますが、詰め込み教育は決して否定されるべきものではありません。知識は必要で、これを詰め込む教育段階は必要不可欠です。昨今の、知識の前提もなしに創造的教育だと言い張るのはどうかしています。しかしながら、成長に即して、詰め込み教育から思考的教育へと転換していかなければなりません。普通科高校+大学の7年間教育では、余裕がある大学1・2年の時期がこの転換期に当たります。戦前期の教育制度で言うと、旧制高校時代です。高専教育は余裕がない上に、大学受験という区切りがなくてシームレスに繋がっていますから、この転換が非常に難しい問題となり得ます。

 思考の忍耐は厳しいものです。ですから、最終的な選択肢の一つに挙げられるであろう研究室選択において、門を叩くメンバーを見ると、真にチャレンジしようとする者と、選択肢がなくて仕方なく来たという者に二極化されています。研究室選択は、第一希望がその学生の最たる希望であるとは限りません。逆も然りです。後者が前者に成長してくれることを期待するものですね。

 学生さんを一過性のボジョレー・ヌヴォーとするのではなく、真のヴィンテージワインとしたいですね。

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