旧律令国のアイデンティティー

 日本国は47の都道府県から構成されています。「県民性」という言葉にあるように、各都道府県毎に言葉だけでなく人の気質も違います。しかし、現在のような都道府県制度になったのはさほど古くはなく、1888年(明治21年)からです。150年も経っていません。

 都道府県の確立以前の約1000年もの間、日本はより細かい律令国(令制国)で構成されていました。郷里の広島県は旧安芸国備後国、福岡県は豊前筑前筑後の3カ国から構成されてます。四国は律令国制度でも都道府県制度でも4つで変わりませんが(※都道府県制度の試行錯誤時期を除いて)、大抵の都道府県は複数の律令国から構成されています。

 一概に県民性と言っても、やはり1000年の律令国政度に基づいています。広島県の安芸と備後では、気質に差を感じます。江戸時代の幕藩体制下では、安芸国全域と備後国の一部は広島藩浅野家、備後の南部は福山藩でした(※ただし備後には天領などもあり)。福山藩の藩主家は移り変わりましたが、基本的には徳川親藩で三河国出身だったので、福山の言葉の語尾は「みゃー」です。企業時代は福山でしたが、「ここは広島県か!?」と言葉の違いに驚いたものです。

 現在の広島県三原市は、安芸国と備後国が混じっています。元々の三原の町は備後国ですが、幕藩体制下では広島を中心とする広島藩浅野家の領地でした。三原の町の南を東西に流れる沼田川から先の和田地区は安芸国、西へ行って山が沼田川が迫ってくる先の本郷地区は安芸国です。ちなみに沼田川は「ぬたがわ」と読みますが、広島にも同じ地名があり、こちらは「ぬまた」と読みます。

 三原に特に知り合いはいないのですが、個人的には身近な感じがします。東へ行って福山に住んでいたときは、同じ広島県という感じがあまりしませんでした。ただし、カープが好きという点は共通のものでした。

 さて、福岡県に目を向けてみます。3カ国で構成されていると述べましたが、豊前国は分けられています。山国川を境にして、北半分は福岡県、南半分は大分県です。中津市は大分県となります。このように旧律令国が真っ二つに分けられているのは珍しいです。この週末を過ごした北九州市は、西側が筑前国、東側が豊前国です。旧国境は現在の九州工業大学戸畑キャンパスの東側を流れている境川です。しかし私が余所者だからでしょうか、気質の違いを感じません。内陸部に至っては、「筑豊」とまとめられています。

 ただしNHK放送は、福岡放送局北九州放送局に分かれています。福岡、そして筑後国に属する久留米や大牟田は福岡放送局から放送されていますが、北九州市では北九州放送局から流れています。つまり、同じ県でありながらニュースを中心に違う番組が流れています。珍しいケースです。

 は好きです。昔の豊前国人が現在の状況をどう思うのかと興味があるところです。

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