有明元年と石炭

 有明に来て、あっという間に一年が過ぎました。一年前は、取引先企業との交渉団の一員として、静岡県の沼津を訪れていました。「ラブライブ! サンシャイン!!」の街です。大きな垂れ幕がありました。交渉が無事終わり海鮮丼に満足した帰路、三島駅の新幹線ホームから、「富士山はやっぱりキレイダナー」と、見とれていました。

 人生、変われば変わるものです。当時は品質管理のメンバーとして、不具合是正のために日々図面とにらめっこしつつ、社内他部署や協力会社とやりとりしていました。その一年後のここ数日は、どうもエンジンがかからず、ボーッと生きています。ちょっと今は充電サイクルなのかな。

「ラブライブ!」を記念に撮りました。
富士山は綺麗でした。
数日後、初めて有明へ。

 さてこの日曜日は、学力入試がありました。今年の受験生って、平成17年(2005年)生まれなんですね。その年、私は博士号を取り、筑豊にやって来ました。

 さらに時計の針を戻して、大学入学時(平成7年、1995年)に遡ります。入学後、前期の化学で電子雲を習いました。電子雲の考え方は、Bohr軌道を否定するものです。電子の位相と存在確率?? Bohr軌道を信じて大学入試をくぐり抜けてきた私には、電子雲が何のことだかサッパリ分かりませんでした。

 「おいおい、応用化学科に入っていきなり落第かよ」と焦った私は、何とか単位を修得後、後期の基礎ゼミナールという授業で、学科内の石炭化学の研究室に一人通いました。この授業、少人数単位で学内の好きな研究室を選んで、ゼミナール形式の授業を受けるものでした。丁度その研究室の提供テーマが電子雲だったので、希望を出しました。希望者はたまたま私一人でしたが、とにかくいきなり落第はマズイだろうと、独り通いました。金曜5限でした。秋冬は日が暮れるのも早くて。

 以来、石炭というものに何となく興味を覚えるようになりました。まあ結局は一年遠回りをしまして、4年後に卒業研究で選んだ研究室、というより残された選択肢は、すぐ隣の電気化学の研究室となりましたけど。

 話を2005年に戻します。正に石炭の本場であった筑豊に就職した私は、週末に炭鉱跡巡りをしていました。忠隈、上山田、田川、貝島と。さらに有名な三池炭鉱も勉強してみようと、ある日、車で大牟田の石炭産業科学館まで足を伸ばしました。道筋は覚えていません。ただナビが指示する通りに。

 館内を一通り見学し、すぐ帰路につきました。大牟田や荒尾の街並みは見ませんでした。だってまさか15年後に、地元有明高専の准教授となり、その年に生まれた子達の入試に携わるなんて、想像できるわけありません。

 石炭のイメージというものは、研究にも役立ちました。その半年後に広島大学に移ってからはずっと、ダイヤモンドライクカーボン(DLC)という炭素材料を研究していますが、DLCの構造モデルは石炭を参考にしました。この化学構造解析がそこそこ世に認められて、今の私があります。

 縁というものは、何とも不思議なものですね。人生、今が一番楽しいです。そろそろDNAさんに、エンジンの始動を依頼してみようかな。

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