翻訳と教科書

 先日、Feynmanさんの「Lecture on Physics」の原書を買いました。言わずと知れた物理学の名著です。

 「今更かよ?」と思うかもしれませんが、日本語訳は昔から持っています。とはいえ、どうにも訳に馴染めずに活用できていませんでした。この度、思い切って大人買いしました。

 翻訳が悪いかというと、そうは思いません。ただし、言語の背後にそびえる文化の違いで、異なる言語をしっくりと訳すというのはなかなか難しいものです。こなれた日本語を追求すると、かえって原書の意図や雰囲気を損ねることにもなりかねません。翻訳者の方は大変だなあと思います。逆のパターンも同じで、川端康成氏の雪国は翻訳が難しいことで有名ですね。

 研究を生業としていますので、論文を書くのが仕事です。しかし論文は英語で書かなければなりません。そりゃ日本語で書いた方が楽ですが、歴史的な流れで仕方ありません(※ちょっとこの辺りは後日別途考えてみましょう)。英語論文を書くときは、同時に邦訳も進めるようにしています。以後何かの際、例えば日本語でまとめ論文や解説論文を執筆するときに役立ちますので。ただし自分で書いた文章でさえも、言語が違うと表現の仕方に逐次立ち止まります。

 化学に目を向けてみます。化学の教科書はほぼほぼ訳本です。物理化学でいうと、バーロー、アトキンス、マッカーリ&サイモンの著作。有機化学でいうと、モリソン&ボイドにボルハルト&ショアーなど。日本人による教科書は少なく、嚆矢といえば、我が大師匠(恩師の恩師)の故 坪村 宏先生の物理化学です。

 話を戻します。Feynmanさんの原書を揃えたのは、担当の電気磁気学(電磁気学)について知識を深めるためです。同じ電磁気学でも、著者によって見方は異なります。私は電磁気学を砂川重信先生の本(理論電磁気学ほか)で勉強しました。というより、今でも。こちらも言わずと知れた名著で、他に書かれた本(量子力学など)も日本人にはしっくり来るまとめ方だと思います。他にも色々入手しては、次年度の授業に活かせるところはないか探っています。自身の勉強も兼ねて。本を借りる(= 他人の本を使う)というのが嫌な性分なので、財布は軽くなり、本棚は重くなる一方です。

 将来の夢として、一冊で良いので、後世に残る教科書を書きたいと思っています。外国へ翻訳輸出できる本を。専攻していた電気化学で言いますと、佐藤 教男先生の電極化学です。

 長々論文を書いたり、こんなとりとめもない文章を書くのも、その文章練習です。

 加えて、教科書のためには広範な知識も必要です。最近、研究の裾野を広げすぎて個々の勉強が疎かになると思い、進むべきテーマを絞ろうとは考えつつも、夢のために知識の幅は広げておかないとなりません。しかしそうすると皮肉にも、あれもやってみたい、これもやってみたいと研究の欲が沸いてきます。

 う~ん、道程は遠いです。

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