すぐに役立つことは幸せか?

 閉講中は乱読には打って付けです。天井知らずの読んでない本と読みかけの本を何とかしなければ。

 でも世の中、「すぐに役立つこと」を選んで効率的にやっていきたいと主張する人達が少なからずいます。他は無駄だと。そしてそれに便乗したり煽る形の関連書籍等が廃れることはありません。

 だって、みんな楽したいから。必要最低限の行動で、失業せずに安定して暮らしたいから。

 でも、「すぐに役立つこと」って、本当に恒久的な幸せをもたらしてくれるのでしょうか。考えてみましょう。

 そんな人達に、一番認識しておいて欲しいなと思うことがあります。すぐに役立つことって、「使いたい側の論理」で動いているんですよね。決して持っているアナタ側の論理ではなく。前々段落の主張はすべて、「使われる側の論理」なんですよ。それらって、神さまが保証してくれるんでしょうか?

 使いたい側は楽ですよね。何もせずとも自主的に選んでくれるのだから。供給が多くなれば、神さまが見えない手を使って価値を下げるから、コストも節約できるし。当人も選民意識が抜けないから。

 幸せは決して、与えられるものではないですよ。

 人間って、指示されるのを本能的に嫌うものです。指示により自由が束縛されて、生命の危険が迫るかもしれないというDNAコードが発動するから。古今東西、人に言うことを聞かせるのが大変なのは、申すまでもありません。特に、すぐに役立つことを選ぶ人に対してはそうですよね。

 それなのにそんな人達は、将来指示されることを前提として動いているんですよね。摩訶不思議です。

 今見える価値観では上等でも、将来価値は暴落するかもしれない。今無駄なことでも、将来拓けた価値観の中ではその価値は暴騰するかもしれない。先のことは分かりません。ただ決定的に言えることは、拓く力はすぐに役立つものではないということです。

 学ぶって結局、自分の人生を自由に謳歌したいからすることなんですよね。狭い世界で選ばれるために四苦八苦するよりも、選ぶ人生ですよ。

 私は、静かな片田舎で晴耕雨読の人生がしたいです。徒然に読み、書きと。ただ、農業の趣味はないし、上下水道各種インフラは整備しておいて欲しいけどね。何せ、街中育ちですから。

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