論文出しました

 この度、炭素材料学会の「炭素」という学術雑誌に日本語論文を出しました(炭素 2020年 第293号 80-91頁)。有明高専に来ての第一号です。東北大学 多元物質科学研究所 高桑 雄二教授との共著です。内容は、ダイヤモンドライクカーボン(DLC)という炭素材料のプラズマ成膜と、その反応解析や化学構造解析です。それまでに出してきたいくつかの英語論文のまとめ論文です(※中身に興味のある方は、ご連絡下さい。)。

https://www.jstage.jst.go.jp/browse/tanso/-char/ja/

 DLCとの出会いは、2005年に大学院を出て広島大学に博士研究員として採用されたときに遡ります。行先の高萩 隆行教授から、ある企業との共同研究でDLCの化学構造解析を立ち上げるというミッションを与えられました。もう15年も昔になりますが、つい昨日のことのように思い出すこと、度々です。学生の皆さんはまだ赤ちゃんだったのですね・・・。

 「DLC、なにそれ、おいしいの?」というレベル、つまり全くのゼロからのスタートでした。最初の3ヶ月は図書館に籠もりきり、研究計画を練りました。それからは実験&解析をしては学会発表し、新参研究者としてアピールを繰り返しました。「こいつ誰や? 何をわけのわからんことを言ってるんや!?」と、さぞ思われたことでしょう。でも、それを気にしていたら人生終わります。

 そんなこんなで1年半が過ぎ、何とか一つ目の論文を出すことができました。とにもかくにも、「これでなんとか首が繋がった・・・」と安堵したものです。一度論文が出せると、後はどんどん続きます。慣性の法則です。そして4年後には、冒頭の炭素誌で論文賞をもらうことができました。

http://www.tanso.org/contents/award/award2009syo.html

ゼロからスタートしたので、受賞は格別でした。人生でいくつか賞状というものをもらってはきましたが、これに勝るものはありません。

 しかし、賞をもらうと不思議ですね。一つの山を登って「やったーヽ(^o^)丿」と思って前方を見たら、さらに高い山がそびえていました (´・д・`)。勉強って、すればするほど、自分がなーんにも分かっていないことに気づかされます。今でも、「本当にこの解析で良かったんかな・・・」と思うこと日常です。

 受賞を花道に、高萩先生から「見聞を広めるようにと」広島大を卒業し、東北大(尾辻 泰一教授)に移りました。東北大では別の仕事(グラフェン)をすることになったので、DLCは店じまいのつもりでした。しかし色々調べていくうちにグラフェンとDLCのコンボを思いつき、共同研究先として冒頭の高桑先生との出会いが、結果的にDLC研究をさらに加速させることになりました。

 次第に学会でも認められるようになり、執筆や講演の仕事も入るようになりました。東北大の後、有明高専に来るまでの5年間は会社生活でした。会社員中は学会活動から離れていたものの、多くの先生方から引き続き仕事をいただくことができました。

 そして今日に至ります。人生というものは人それぞれ色々ですが、よくまぁ、生き残れてきたな・・・とほっとしてはお茶をすする次第です。お茶は濃いいものが好きです。

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