学会発表のトレンドに思う

 かれこれ20年以上、学会発表というものを見てきました。歳のせいか、発表のトレンドが大きく変わってきたなと実感します。年寄りくさいですね。専門分野の詳細についてではなく、発表スタイルについてです。

 情報処理技術の発達により、多くの測定手法が身近になり、かつそのデータ処理が容易になってきました。測定データ一つを取るにも、プリンタ/プロッタの設定から始まるアナログシステムでは一苦労だったものが、今やボタン一つの全自動で数値データをファイルすることができます。ファイルデータは各自のパソコンで、後で自在にグラフ加工できます。

 発表技術に関しては、事前に一枚一枚OHPシートに印刷して用意していたものが、今や発表直前までノートパソコンやタブレット上のPowerPointで容易に修正できます。昔は発表原稿を丸覚えしていましたが、今や壇上の手元の画面に、原稿をメインスクリーンとは別途映し出して読むことができます。

 総じて現在では、「多くのデータを敷き詰めて、早口で話す」スタイルが主流となっています。カラー、アニメーション、ビデオやシミュレーションが駆使されており、傍目には昔よりもはるかに洗練されています。

 しかし、「いや素晴らしい・・・」と一概にも言えないかと思います。

 一つ一つのデータは、既存の文献を踏まえて、瑕疵なく処理されています。一見、問題ありません。ただ、「表層的だなあ」と感じます。物質科学、すなわち物質あっての研究を行ってきた者としては、物質そのものと直接対峙していない、向き合っていないないという感じがします。一見綺麗なデータだけど、表層的で感銘を受けにくいです。一つのデータ、一つのカーブとひたすら睨めっこして、「あーでもない、こーでもない」と言いながら、考察を掘り下げていくという、物語性を感じません。

 物質って、そんな簡単なものかなあと。

 予算獲得競争がバックグラウンドにあるためでしょう、「押し」が強い発表内容となっています。アピールは決して悪いことではありませんが、客観的かつ淡々と実験事実を考察していながら真実に近づいていくという点に欠けており、著者のバイアスすなわち主観性の強さを感じます。研究と広告は違います。

 研究は、主観と異なる結果が得られるから面白いのです。またそこから学ぶことで自身のレベルを上げ、人格を向上させていくことに、この仕事に携わる意義と喜びを感じます。

 今の発表技術からすれば、昔の資料など取るに足らないものでしょう。しかしながら、それが「進歩」と言えるかどうかは、私の中では果たして疑問です。

 白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき

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