NHKのブラタモリを毎回楽しく見ています。昨日はしまなみ海道で村上水軍の話でした。準地元の話なので大体知ってました、はい。
次回はなんと、我が故郷、呉ではないですか!! Don’t miss itですね。
呉は「くれ」と読みます。ま、読めますね。でも発音にご注意。地元の正しい発音は「れ」にアクセントがあります。「く」にアクセントを置く人は、他所者です。とはいえ、NHK広島のニュースでも「く」にアクセントを置くから困ったものです。
呉駅の南側は、かつては海軍さんの用地で立入禁止でした。戦後、用地が開放されて旅客港(呉中央桟橋)ができ、その周囲は工場地帯になりました。中央桟橋から船に乗る用事のない限り、普段は行かないところでした。ところが平成以降再開発が進み、大和ミュージアムができ、潜水艦が陸に上がってきました。普段海辺から見る潜水艦の姿は、まさに氷山の一角です。え、普段潜水艦なんか見ないって? あ、そうなんですか・・・。
連なって色々な商業施設ができました。今や呉市随一の繁盛振りです。他方で、海軍創設以来の繁華街である本通り・中通り(通称: レンガ通り)は寂しい限りです。かつての賑わいを知っているだけにです。
でも実は私、呉市出身ということに抵抗があります。私の実家がある呉市広町は、かつては賀茂郡廣村(※旧字体)といい、戦時中に当時の呉市に併合されました。村といっても大きな村で、独立してやっていけるだけの規模でした。しかしながらご時世で、「広市」という独立自治体となることができませんでした。
呉市は休山(やすみやま)という山を中心にして、大きく東西二つに分かれます。西の中心が上記の元々の呉、東の中心が広です。広は今なお呉市東半分の中心として、荒尾市にも勝る人口、商工業規模、公共施設があります。このような広独立無念の話は、広で育った者は誰でも知っている話です。私は、呉市民であって呉市民ではないのです。
その証拠に、元々の呉地域以外からその方面に向かうことを「呉へ行く」と言います。市内移動ですけど。一応、その方面には「中央」という公的な名称が付いているようですが、「中央に行く」とは聞いたことがないです。
広―呉の移動には、休山北端の呉越(くれごえ)峠という峠を越えなければなりません。もしくは、遠回りで南端海岸沿いを平清盛公が日招きの「音戸の瀬戸」を見ながら。この地理的要因が、両側に住む人達の間に心理的距離をもたらしたと言えます。しかし平成になってから、「休山トンネル」という休山中部を一直線に貫く国道トンネルができて、東西の移動が格段に便利になりました。私が育ってきた感覚は、今は変わっているのでしょうか。
ふるさとは遠きにありて思ふもの・・・。いや、帰りますけどね。
以上、今回はEコースとは全然関係ない話でした。
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