あれから10年

 早いもので、2011年3月11日から10年経ちます。東日本大震災の日です。

 当時私は東北大学 電気通信研究所に博士研究員として勤務しており、当日は大阪大学 産業科学研究所の先生方を招いての共同研究会でした。私は大学院生達とともに聴講者の一人でした。午後からでしたが、学生が一人寝坊をしていたので、「早く来いよ~」と連絡していました。当時の光景は今でも覚えています。良い天気でした。

 研究会は大会議室で始まりました。そしてあの時間、立っていられない揺れが長時間続き、古い建物だったので、天井から白い粉がわんさか降ってきました。一体何が起こったのか分かりませんでしたが、揺れが収まらず、これはやばいと。

 ようやく揺れが収まった後、急いで建物を脱し、住居である少し離れた付属ナノ・スピン研究棟前に棟員全員避難しました。ちょうど狙っていたかのように吹雪いてきて、とても寒かったです。ラジオ経由だったか、仙台東岸の荒浜(深沼)の街が津波にのまれたという話が伝わってきました。信じられない気持ちでした。

 しばらくして、帰宅しようと車を出しました。自宅へは仙台の南北の大通りである東二番丁通りを跨いで東に向かわなければなりませんでしたが、信号不通のため横断できず、引き返しました。

 結局、棟内クリーンルームの前室で、他の方々と一夜を過ごしました。施設には非常電源があるので、灯りやテレビは大丈夫でした。流れる津波の映像をずっと見ていました。

 自宅には歩いて帰りました。1時間弱だったかな。幸い自宅に大きな被害はありませんでした。しかし電気はなかったので、携帯の充電に電源設備のある近くの区役所に向かいました。自身の身元証明が最優先ですから。

 河北新報という地元新聞を入手したら、トップ記事が福島原発のメルトダウンでした。にわかには信じられませんでした。

 その後、手の届く範囲の人達の無事を確認しました。世界最大の地震を経験しましたが、仙台が私の最も好きな街であることには変わりありません。

 仙台の街は、太平洋岸から5 kmほど内陸にあります。海岸に向かって広大に広がる仙台平野にではなく、敢えて離れた内陸部に大都市を作った独眼竜政宗公の先見の明に感服です。

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