時代の移り変わりと安定化

 目下のご時世への対応のため、学年末も押し迫っていながら、怒濤の日々です。2年前に有明へ来てから、イベントには事欠きません。

 さて、毎年1月は成人式です。私の時代はもう遙か昔ですが、この職に携わってから、成人式が身近になりました。丁度学生さん達が該当しますので。

 彼らが生まれ育った20年間は、安定した時代じゃないかと思います。

 1945年に戦争が終わりました。祖父母は戦中世代で、父母は戦後間もない世代です。私が生まれ育った時代は既に戦争のない時代でしたが、それでもその爪痕はあったかと思います。爪痕と言っても、何も生々しいものではなく、「時代の変化」です。高度成長もその一つです。

 例えば、ただいま朝の連ドラでやっている商店街の風情は、正に私の子供の頃でした。商店街一つが大きなコミュニティーで地域社会でした。自分の人生を振り返るに、最も幸せな空間の一つだったと思います。

 車社会の発展によるロードサイドの発達、グローバルビジネスの発達による核家族化、都心への人口集中による地域社会の崩壊などで、コミュニティーは様変わりしました。確かに、商店街時代に比べれば、物質は豊かに、容易に、安く手に入るようになりました。爪痕は消えて、しがらみなく明るく自由に人生を選択できるようになった一方で、dryな自由の副作用でもある心のwetnessの喪失が顕著です。自由をこなしきれる程、皆は強くないようです。

 私が歳を取ったためでしょうか、そんな「時代のうねり」は、ここ20年は落ち着いているんじゃないかと思います。大きな変化を感じません。安定な時代に入ったかなと思います。

 ただし、安定な時代が必ずしも幸せな時代とは限りません。

 そんな時代の移り変わりを感じて、蝦夷を平定した桓武天皇以降の時代はどうなっていったのかなと、ふと気になります。

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