年功序列 de Part II: 院政と律令制と武家政権樹立

 続きのお話ということで。

 日本の政治システムの歴史を語る上で欠かせないものの一つに、平安末期の「院政」があります。天皇の上にそれを退いた上皇、上皇の上にそれを退いた法皇です。本来の律令制度では天皇が頂点なのに、その上にまだいる。日本の政治の不思議なところは、ま、現代にも通じるのですが、根本の法律つまり律令や憲法を変更するのには激しい抵抗を示すけど、実質的には骨抜きにされているということです。701年の大宝律令によって確立された日本の律令制度は、723年の三世一身法により早々に運用がおかしくなってきました。743年の墾田永年私財法に至っては、「え、律令では土地は国家所有(公地公民)じゃなかったの?」です。

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年功序列は嫌いなのと海軍五省

 学生時代はずっと体育会系で過ごしていました。日本の体育会系の特徴と言えば、なんと言っても「年功序列」ですね。私も当時はそれが当然の社会ルールだと思っていました。

 農耕民族で平等性を重視する日本社会でリーダーをもめ事なく決めるには、絶対性のある長幼で決めるのが一番でしょうね。祭礼の役員とか。相対性理論によると世の中は四次元空間(x, y, z, t)ですが、人は時間だけは制御できません。テレビ番組の人物紹介でも、名前と年齢はセットですからね。日本人は年齢が大好きですね。確かに、始皇帝が不老不死の薬を探させるために日本列島まで派遣した徐福さんとその仲間達が我々日本人の祖先であるという伝説もあるくらいですから、日本人のDNAには年齢は最重要ファクターであることが刻み込まれているのかもしれません。

 さてさて、大学時代のある日のことです。練習後のミーティングで1学年下の後輩に言われました。「1歳違うことってそんなに重要なんですか」と(※共に現役合格入学なので「学年差 = 年齢差」でした。当時はですけど(ノД`))。随分昔のことなので一字一句の記憶は曖昧ですが、光景は脳裏に焼き付いています。その後輩は私を慕ってくれていて日頃から仲が良かったので、臆せずに発言してれました。言いたいことが言えないんじゃダメですよね、とは昔から。まとめる立場でもあった私は考えさせられました。「何をもって人をまとめるべきか」と。長幼が全てかと。年月を経た今でも、それは私にとって人生の課題です。

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