Bargain for Communication

 10月になりました。月初めの各社内定式が終わり、また新たな就職活動戦線が始まりました。そして、コミュニケーション能力の大安売りもまた始まりました。Bargain for Communicationです。

 以前にも書きましたが、その勘違いには聞き飽きます。コミュニケーション能力至上主義を、勉強しないことへの免罪符と勘違いする輩も出てくる始末です。OBや先輩からこのような類のことを言われて、真に受けます。真に受けるというよりは、それを免罪符として使ってサボろうする潜在意識の発現です。そのOBや先輩って、本当に自身が人生の理想や目標とすべき人材なのかな?と思います。

 そんな中の毎度の後期、内定式を済ませてあとは卒業を控えるだけの5E学生達に対して、信頼性工学の授業を行っています。コミュニケーション能力の真の意味について説きました。それは、「めんどくさい人を何とかする能力」ということです。

授業スライドの一コマです。

 そう、世の中は、他人の集まりです。他人とは、めんどくさいものです。企業も他人の集まりです。企業は社会経済活動の一端を担っている集合体の一つであって、決して人生の安住地ではありません。寄らば大樹の大企業ほど、容赦なくリストラをします。しかしその大企業至上主義の人は後を絶ちません。自分は例外だと思ってね。

 その極端な事例が、資本主義の総本山であるアメリカですね。ですからアメリカは、最後の寄辺である家族を大事にします。日本は終身雇用制度が示すように、温情が残っています。否、その温情もなくなりつつありますね。終身雇用に甘えて自らを怠る人はどうしてもいますからね。

 コミュニケーション能力がダメとは言いません。しかしそれよりも、他人の集まりの中を自分の脚で立ち、胸を張って堂々歩んでいけるような確固たる能力を身につけていくことの方が余程大事だと思いますけどねぇ。

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