研究活動と高専

 高専(National Institute of Technology)は高等教育機関の一つですから、大学と同じように卒業研究が科目として存在しています。言い方を変えますと、高等教育機関であることは研究活動によって担保されています。

 つまり高専は、研究機関としては大学/大学院や国研と同等なのですが、そこはやはり規模の問題がありまして、建物一棟に及ぶような大型実験装置はありません。一校全体で1,000人程度の学生数です。国立大学は一「学年」で3,000人を越す規模ですからね。私立大学だと10,000人規模にもなります。でも予算手当てとしては規模の割には大きくて、大学の先生方からは羨ましがられていることもまた事実です。実感ないけど・・・。

 現在の研究室専攻科生達は、賞を取りまくってくれています。ちょっと取りすぎかなあと思い、この状況は後輩達へ続いてはいかないだろうなと、嬉しいようでちょっぴり不安な心持ちです。

 この状況の見方を変えてみれば、マネージメントさえしっかりすれば、高専は十分な研究機関として機能することの証左でもあります。しかし残念ながら、現実はそうではないです。

 一部の方々を除けば、高専の研究はパッとしません。半分以上の学生は就職する(有明高専では約7割)ので、彼らの研究活動は1年で終わります(有明高専では1年半)。まあ、そういう機関ですからね。けれども教員の中にはそれに甘えて研究活動を怠っている人がおり、研究室があるにも関わらず、そこは人気なく埃を被っています。それって、学生に責任転嫁してサボっているだけでしょう? 教育と研究は車の両輪ですよ。

 しかしそんな状況を内心恥じてか、学生達に研究活動成果をひた隠しにする人達は少なくありません。でもね、今の情報化社会、そんなことバレバレです。全く情けないなーと思うばかりです。何を以て高い教壇に立つのやらです。

 高専は、何も研究活動が全てではありません。国際交流活動重点教育ロボコンデザコンプロコンに代表される各種コンテストなど、学生達を伸ばすシステムは他にも多くあります。ですから、研究しなくてもこれらの活動を頑張っていれば、何も恥じることはないと思うのです。何か学生達のためになることを頑張っているのならば、それで良いではないですか。

 私は、たまたま研究ができる環境を与えられただけです。その財産を活かして、学生さん達に未来を切り拓かせているだけです。もし人生の別の岐路を辿ったならば、全く研究できないことになっていたかもしれません。しかし例えそのようになっても、私は堂々と学生達を伸ばす別の道を歩みますよ。

 幸せな人生って、お金ではなく、堂々と誇れる生き方でしょう。

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