シルバーウィークと論文執筆

 このシルバーウィークは、ひたすら論文を書きました。ファミリーは墓参を兼ねて帰省していますが、私は独り自宅に籠もって論文書きです。ほぼ全ての時間を費やして、ようやく初稿ができました。共著者の同意を得て、近いうちに投稿したいなと思います。

 研究室の学生さん達がこれまで頑張ってきてくれたおかげで、実験データも貯まり、研究室運営も落ち着いてきました。研究は論文発表を以て最終としますので、残るは論文執筆です。

 面白いことに、同じ高等教育機関でありながら、研究と教育に対する姿勢は大学と高専では全く違います。大学はもちろん、研究が評価対象です。しかし教育は評価されません。高校時代に受験勉強を一生懸命頑張っていざ大学に入ってみたら、授業が適当で唖然とした。そんな経験を持つ人は少なくないでしょう。

 高専は逆に、教育は評価されますが研究は評価されません。事細かく教育指導はします。ただし教科書レベルまでです。高等教育は卒業研究をもって完成とし、高専にもその制度はあります。しかしながら、一番注力しなければならないところで一番手を抜いているのが現状です。

 少ない知識だけを血肉にしていくか、多くの知識をただ忘れていくか。どちらも避けたいですよね。

 近年は大学と高専のコラボレーションが活発になってきて、このような差異はなくなりつつあります。九州・沖縄地区では、九州大学の筑紫地区とのコラボレーションがあります。「高専とは何か? 大学とは何か? 高等教育とは何か?」を考えると奥深くキリがないので、偉い方々に頑張っていただきましょう。

 この九州大学とのプログラムに参画していることで、九大の客員教員として、九大図書館のデータベースを使用することができます。論文執筆にはとても心強い、ていうか、ないと仕事になりません。有明の立地も踏まえると、幸いにも研究環境はおおよそ揃えることができています。

 上述の評価体制が示すように、論文を書かなくても困ることはありません。高専で研究をする方が圧倒的少数派です。よく大学の先生方が「高専は良いよ」と好意的に評価してくださいますが、それは氷山の一角でしかありません。要は高専は「高校+大学+大学院修士課程」をまとめたようなものですから、校務に忙殺される日々です。義務がなくて山盛りの校務が別にあるのですから、研究をしなくなるのは無理からぬ事かもしれません。

 そんな日々において論文を執筆するには、集中できるまとまった時間と環境が必要です。論文執筆は、究極の知的作業だからです。連休は格好の環境です。よく若い人がイヤホンで音楽を聴きながら勉強していますが、あれはその人が自身の持っている知能のわずかしか使っていないことを示す格好の事例です。全ての外界から離れて没頭しなければ、論文なんて書くことはできません。少なくとも私は。実験データを細かく整理しながら、それが暗示している創造主の真意を探ります。「あーでもない、こーでもない」と悩みながら、一文一文を書いていきます。徹夜も辞さず、下手な運動よりも疲れ果てます。

 しかし執筆し終えた後は、この上なく爽快です。何にも代え難いです。

 じゃあずっと孤独でいたいかというと、人付き合いが下手な上に寂しがり屋の性格です。日常では嫌というほど人々に囲まれますので、うまくバランスを取っていければ良いなと思う次第です。

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