一日遡って2日目の話の続きです。2日目は先に述べたマリーナ・バラージとシンガボール植物園の他に、シンガポール国立博物館にも行きました。そこではシンガボールの歴史について学びました。
シンガポールが有史に現れてくるのは14世紀と遅く、サンスクリット語で「ライオンの町」を意味する「シンガプーラ(Singapura)」という名称が出てきます。その英語読みがシンガポールとなっています。Lion Cityですね。
それから時を得ず大航海時代に至って、ポルトガルが侵攻してきました。1613年にポルトガルによりシンガポールの街は焼き払われて、以後200年間忘れ去られることになりました。ポルトガルはその後、後進のオランダによって放逐されました。
1819年にイギリス東インド会社のイギリス人であるトーマス・ラッフルズがシンガポールに上陸しました。間もなくシンガポールはイギリスの植民地となりました。彼は自由港政策を推し進めて、現在に至るシンガポールの礎が作られました。ラッフルズは、シンガポール人が忘れてはならない人物の一人です。その後中国南部や南インドからの移民が進み、現在の多民族国家の原型となりました。
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