転生ものとくじ引き

 最近、転生ものの物語が流行っているようです。恵まれない境遇から生まれ変わって、無双して成功していくやつです。

 でも現実には、人生のやり直しって利かないんですよね。相対性理論は四次元で記述されますが、時間だけは人間の制御が利きません。乗り物の速度を上げて、光速にほんの微々たる抵抗ができるだけです。

 これまでの我が人生、やり直したい点はいくつもあります。「ああしとけば良かったな」とは、枚挙に暇がありません。しばしば夢にうなされることもあります。

 しかしその失敗の連続があるからこそ、今の私が形作られているのだと思います。成功ばかりの人生だったら、今の私はいません。もっと優れた人間になって幸せになっているかもしれないと思う反面、成功に驕って身を持ち崩してしまうかもしれないという恐れもあります。

 後悔とは、悔やむことではなくて、明日への道標です。

 結局人生って、自分の能力に見合った落ち着くべきところに落ち着くのかなあと思います。上を思えばキリがないですけど、まあそんな悪くはない現在です。

 さて、授業に話を繋げていきます。実験・実習では、グループワークが基本です。当然、班分けの手法を考えなくてはならなくなります。私の場合、担当科目では一貫して、くじ引きで決めています。PCなどを使ったデジタルではプログラムで見えない細工ができますので、公正を期すためにアナログでやっています。

盛り上がるんですよー。

 当然、というか他のどのやり方をするにしても、班分けの不平不満は出てきます。典型的なのが、「こんなできないやつと・・・」というものです。「あいつと組めれば・・・」と続きます。ん? これって、上述の転生ものに通じますね。

 でもそんなこと言う人、「あいつ」からは逆に評価されているかもしれないということには気づかないものです。

 学生さん達には、「世の中で自分の思い通りの環境で仕事できるということは、まずもってありません。不平を述べても社会は誰も評価してくれず、却って自身の評価を下げるだけです。ただし、うまいこと切り抜けて成果を出した人は、周囲に高く評価されます。本授業は、その練習でもあると思ってください。」と言い聞かせています。

 そうでしょう? 思い通りのことを用意して過ごさせて、社会に出た途端に現実に打ちのめされる人生を歩ませるのは、教育としてはダメですよねー。

 教員は当然学生さん達より長い人生歩んでいるんだから、長い目で彼らを見てあげられないとねです。

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