ニーバーの祈り

 ふと、最近買った本に付いていたしおりに書いていた言葉が心に留まりました。

「神よ、変えてはならぬものを受け入れる冷静さを、変えるべきものは変える勇気を、そして変えてはならないものと変えるべきものとを見分ける知恵を我に与えたまえ」

です。「ニーバーの祈り」と言われているものだそうで、恥ずかしながら、今まで全く知りませんでした。

 日本社会に総じて言えるのですが、一度決めたものを金科玉条とするきらいがあります。その理念や理屈に現実が合わなくなってきても、絶対に変えようとしない。必然的に生まれてしまうどうしようもない差を埋めるために、無理な解釈や令外の官を作ります。それが貯まってくると、元の理念がもはや意味不明になるどころか、遵法精神が損なわれていきます。

 そしてその損失を補おう、矯正教育させようとして、無理な指導(と自称するもの)が入ります。手段自体が目的化していきます。

 品質管理、品質工学、ひいては人を束ねる上で、失敗を個人の責任に帰すことは御法度です。授業(5E 信頼性工学)でも、学生さん達に口酸っぱく言っているところです。100%の管理や成功を達成したいのなら、システムをそれに見合うように練り上げるしかありません。個人の努力や行動に依存しては、目的達成は絶対に不可能です。なぜなら、人間誰しも完璧ではないからです。不可能なのに、不可能なことを個人の責任にして組織を傷つける人は、残念ながら古今東西珍しくはありません。

 これは、FMEA (Failure Mode and Effect Analysis)がLive documentであることを知っていれば分かることかと思います。

 以上の点から、私は何事も変えたい派なのですが、一方で変えてはならぬものが存在することも事実です。変えること、ひいては合理性を追求することがあらゆる幸せに繋がるかと言えば、断言はできません。

 ニーバーの祈りは、心に深く刺さります。

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英語ってどうよ?

 イギリスで政権交代が短期間に続きました。新しい首相ですが、元よりこの方がなるだろうなーと以前よりNHKニュースを見て思っていました。でもあれれ別の方になり私の予想は外れたかーと残念に思っていたら、その施政方針も遠く日本ではあまり聞かないまま、結局この方になりました。当たりと言って良いのかな?

 新首相の演説をニュースで聞きましたけど、やはりイギリス英語は日本人にとって聞き取りやすいです。

 イギリス英語とは、屋上屋の変な言葉ですね。日本日本語みたいな。と言いますのも、英語教育の主流はアメリカ英語、すなわちアメリカ合衆国で使われている英語となっています。綴りはアメリカ英語の方が合理的な感(centreとcenterなど)がありますが、発音は低くて聞き取りにくいです。

 歴史を紐解けば明治維新の志士たちは、伊藤博文のように英語が堪能だったそうです。その当時の英語は、日本人に聞き取りやすいイギリス英語ではなかったのかなーと思ったりします。当時はまだ大英帝国の時代でしたし。

 さて現代の私、今年度は国際交流室というところにも所属していて、学内での英語の講演会のお世話などをしています。有明高専ではグローバルエンジニア育成事業というものを行っておりまして、国際社会に対応できる人材の育成を行っています。先日は講演会の司会も行いました。

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研究室メンバー3期生

 我がチーム鷹林研究室は3年目を迎え、この度4E (創造工学科 4期生)から4名が新たに研究室配属となりました。学生さん合計は11名と規模が大きくなりました。

 この第3期生から、ダイヤモンドライクカーボン(DLC)研究が本格的に立ち上がります。

 優秀なメンバーも揃い、装置も整い、あとは私自身が頑張っていくだけです。

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専門家ってどうよ?

 校内にいると、たまにではありますが、「ワタシの専門は○○だから~云々」という声が聞こえてきます。誠に残念至極です。

 5年と時間制限が厳しい高専時代に教えられる専門学問は、わずかです。高々片手で数えられる年月決められた専門カリキュラムをこなしたからって、専門家気取りをするのは、ただでさえ狭い知識をより狭くするだけでしかありません。気取るメリットは、ゼロです。

 昔、ある泊まり込みの学会に行ったときの夜、車座で団らんして話を聞いていると、ある大学の教授が仰せになりました。「それで10年飯を食ってから、専門家と言うべきだ」と。けだし至言でした。

 実のところ私自身、未だに何が専門なのかがよく分かっていません。化学・物理・電気の世界を渡り歩き、それぞれそこそこできるのですが、これといって絶対的に胸を張れるものはありません。確かに論文では持論を主張してはいますが、ふとこれで良かったのだろうかと眠れないこと度々です。TVのインタビューやコメントで専門家の先生方が述べられますが、私にはとても真似できません。そんなようでは、専門家として言うのも恥ずかしいですね。

 色々考えを巡らせていると、どんどん分からないことが湧いてきます。研究は深く追求するほど、分からなくなってきます。分からないことがあると、専門家ではないですよね。それとも、分からないことが分かっているから専門家なのかな。う~ん。

 専門家と言える人が羨ましいです。

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選択科目ってどうよ?

 選択科目っていうのは本来、Challengingな科目であるべきと思っています。そのココロはと言いますと、

  1. 細かい専門分野の科目
  2. 内容が高度な科目

という具合です。

 1については、高学年になって研究室所属になったりすると、個々の専門性が深くなります。深い専門学問はその分野には大切であっても、他分野や他の研究室にとっては重要性が低かったり、意味が分からないものだったりします。例えば、プログラミングの人達にプラズマはあまり必要ないかなと。

 そんな分野は第一に各研究室で教えれば良いのですが、複数研究室に関係したりすると、選択科目として用意しておいた方が効率的だったりします。

 2については、残念ながら学生間で学力に差があることが原因です。特に若い内から専門分化しなければならない高専では、学年が上がるにつれて、ついていくのがしんどい学生さんが出てきたりします。できる子をとことん伸ばすか、それともできない子を手厚くサポートするかは、永遠の課題です。どちらに偏っても、他方からは不満が漏れます。

 その解決法の一つに、高度な科目を選択とすることがあります。例えば、担当している電気磁気学(電磁気学)の場合、特殊相対性理論をもって電磁気学の完結とするべきと思っていますが、そこまで必修で引っ張ると、撃沈する子が後を絶たなくなってきます。というわけで現在は、興味ある学生さん達を対象に課外で数回行っています。単位には何も関係しませんが、興味津々な学生さんはいます。

 他に量子力学や固体物理学なども同様です。必要なんだけど、必修とするには難しすぎますね。こちらは課外で用意する余裕がないので、研究室で必要な分をぼちぼち教えていくことにしています。

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卒業単位数と選択科目

 どこの大学・高専もそうだと思いますが、卒業単位数すなわち卒業に必要な単位数に対して、開講科目は多めに設定されています。そしてその余分な科目は選択科目となっており、取らなくてもほぼ卒業には影響しなくなっています。

 卒業単位数獲得の目処が立てば、選択科目を受けずに時間割を楽にして、最後の学生生活を楽しむという人が割と出てきます。楽しむといっても、バイトしまくったり、ゆっくり寝たりが多いようですが。まあ、個人の自由ですけどね。

 私は、科目の選択は「個人責任」という心づもりでいます。取っても取らなくても個人の自由で、それに伴う以後の責任さえ自分で取ってくれれば、それで構いません。就職/進学したら、「その科目を取っていないことが問題になった・・・」なーんてことがあっても、一切の自己責任でお願いしますよです。そのときになって押しかけてこられても迷惑千万で、後輩達への教育の邪魔でしかありません。貴君中心に地球は回っていません。「権利の行使には、責任が伴います」ってことさえ肝に銘じておいてくれたらOK。

 個人的には、高専は若い内から専門に特化しているので、特に他分野の選択開講科目は取って欲しいと思うところです。他校はよく知りませんが、有明高専は専門コースにいても結構他分野が学べますので。

 専門に特化しているので高専卒は即戦力にはなるでしょうが、「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」とも言います。若い内は広く学び、世の中の広さを知ることが大事だと思います。Liberal Artsという言葉にあるように、欧米では専門分化を日本よりも大分遅らせますね。20代30代の責任が比較的問われない若い内は結構ですが、それ以上の年齢になり、判断・決断・責任が問われる立場になると、広く学んでいるか否か、すなわち教養があるかないかが、かなり効いてきます。決断は一瞬のことですが、それに至るまでには考えに考える必要があります。知識・教養がなくては、そもそも考えることができません。

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車の両輪

 大学は研究と教員の機関です。しかしながら大学教員の中には、教育を疎かにしている人達が残念ながら一定数います。企業からの天下り先としか考えていない人もいます。一部の企業では研究職には役職定年があり、研究を続けたいがために大学へ転職する人がいます。教育なんて二の次です。

 一方、高専は教育と研究の機関です。同じ高等教育機関ではありますが、制度上順番が逆になっています。しかしながら高専教員の中には、研究を疎かにしている人達が残念ながら一定数います。

 大学では卒業研究は生活の一部であり、朝から晩まで研究室で過ごします。一方高専では授業科目の一つの扱いです。しかしながら実験研究が決まった時間内に終わることはまずないので、事実上は大学とあまり変わらなくなります。

 高専では、卒業研究を大学並みに頑張る学生さんもいますが、自習時間のように過ごす人もいます。後者は卒業研究の意味、ひいては高等教育の意味を理解していないと思われるので、手の届く範囲でその意義を説いています。

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2022年度学校要覧と2023年度学校案内

 2022年度の学校要覧2023年度の学校案内がアップロードされていました。

 学校要覧では、表紙の右下に鷹林研究室が写っています。昨年は、ホームページのトップスクロールのコース紹介に導波管とスミスチャートで写っていましたが、今年は打って変わってプラズマCVD装置です。下から2行目の左端は、我が4Eクラスですね。英語してます。

 学校案内では、表紙見開き下の写真も我が4Eクラスです。同じ英語授業の別写真ですね。2頁目のコース紹介の写真も同じく我が研究室の別写真です。

 しかし学校案内での4E写真の背景黒板、端に書いている内容がね・・・。私の字なんですが。我が校関係者ならば、お分かりですね。

よろしくです。

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CO2削減と数字のマジックと学者の仕事

 私、鉄道配線を見るのが三度の飯よりも好きです。

 母方の祖父が鉄道マンであり、両親が共働きだったこともあって、日中は祖父母宅にほぼいました。そんなわけで鉄道関係のものは周りにありました。

 とはいっても、車両にはほぼ興味はなく、いわゆる撮り鉄的な趣味はありません。一番列車に乗りたいとか、最終列車に乗りたいとかという趣味もありません。

 ただ、配線、ダイヤ、都市計画といった土木建築的なところにとても興味があります。

 なぜそうなったか? 自分でもよく分かりません。一番研究対象として興味深いのは、実は自分自身じゃないかと最近思うようになりました。

 さて、日常訪れるサイトに面白い記事がありました。

 鉄道がCO2削減の絶対的施策・・・とは必ずしも言えないんですね。とても勉強になりました。

 これって、官僚さん達がよくやる数字のマジックですかね。報道的に言うと、「ある政策を推し進めたいための数字のごまかしだ!!」と憤る人もいるでしょう。この場合も出てくるのかな? Double standardが好きな人達。

 しかし思うに、これって高度な政治は謀らず単純に資料をまとめただけで、そこまで深く考えていなかっただけなんじゃないかなーと。

 深く考えることは、学者の仕事ですから。

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真空復旧作業

 IVC-22@札幌で一週間留守にするので、安全のため、研究室はブレーカーからOFFにしていました。当然、真空装置もOFFです。我らがPA-PECVDは超高真空仕様で、常時ポンプで真空に引き続けておかなければならないのですが、留守中にトラブルがあっても帰ってこられる距離ではないので、バルブを封じ切ってOFFにしていました。

 会議も無事に終わり、帰ってきたので、復旧作業開始です。外は台風14号の強風が凄いですが。停電にはなっていないので、助かります。祝日でさらに台風で交通機関は皆ストップしていますので、学生さん達はお休みとして、一人で作業です。

ブレーカーから落としていますので、研究室は真っ暗です。

 それなりの装置なので、停止しておいても大気圧(1013 hPa = 1.013 x 105 Pa)まで落ちることはないですが、それなりには悪くなります。

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第3種放射線取扱主任者になりました

 先月の講習を経て、「第3種放射線取扱主任者」の免状が届きました。

 何ができるかというと、SPring-8SAGA-LSHiSORなどの放射光実験施設を利用登録する際に、手続きが楽になるということです。

 「それだけ?」と思うかもしれませんが、放射線は人体に宜しくないので、手続きは大変なんですよ。

しろまるひめかっぽんと一緒に記念撮影です。

めでたし、めでたし。

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