3/15(金)は卒業式でした。校門の桜はまだですが、清々しい春の朝でした。創造工学科 エネルギーコース 第4期生(旧電気工学科より数えて第57期生) 34名全員が無事卒業しました。これまでの4年間の有明高専生活中3年間を彼らと共に過ごしました。最初の1年は3E 副担任として、それから4E & 5Eの正担任として。
全体での公の卒業式を終えた後、各専門コースに分かれました。そこで担任として、34名一人一人に卒業証書を手渡しました。
そして締めの担任挨拶は、以下の内容で話しました。アドリブでしたので一字一句正確ではありませんが、概要は合っています。話の組み立ては練っていましたよ。
担任に就いてからというものは、とても忙しい日々でした。特に5年次は毎日の栄養ドリンクが欠かせませんでした。カフェイン過多になってはいけないと、お茶ではなく麦茶をチェイサーにしました。お茶は歯の健康に良いのですが、麦茶に変えたため、何十年か振りに虫歯になってしまいました(※歯医者さんへは定期的に通ってはいます)。
しかしながら、教員の数ある業務の中でも担任は花形です。最終学年となる5年担任はその最たるものです。務めることができてとても光栄でした。担任は、企業的には課長級の役職に相当すると思います。学級委員長を初めとする各学級委員を係長相当として、クラスを運営しました。年齢的にこのレベルのマネージメント能力を求められる歳ですから、担任活動を通じて勉強させていただきました。
若い大学院修士課程学生の頃、といっても卒業生の皆さんよりは4つほど上ですが、研究室の指導教員に教育というものに関して議論を挑みました。ていうか、突っかかりました。自分から突っかかっておいて何をどう言ったか記憶が定かではありませんが、「ならばお前がやってみろ!!」と最後に言われたことは覚えています。その恩師も今年が定年です。この担任活動をもって、自身の教育能力の証明を何とか間に合わすことができました。
4年前、縁あって全く知らない九州の地にやって来ました。しかしながら、卒業生の皆さんを含めて九州の方々は皆さんフレンドリーで、楽しく過ごすことができました。全国各地色々な所を廻ってきましたが、九州はとても良いところです。
このような偶然のきっかけとなるベクトルはいつ定まったかを振り返ってみると、それは15年前の広島大学の研究員時代でした。その年ある国際会議で講演したところ、ロシア科学アカデミーの人にえらく気に入られて、ロシアに強く誘われました。しかし行く先がシベリアで、とても寒いだろう等ということで断りました。もしあの時シベリアに行っていたら、今回のような機会に巡り会うことはなかったでしょう。
企業時代の経験からすると、卒業生の皆さんはまだ新入社員ですらありません。まだ真っ白な存在です。これからたくさんのことを学んで行かなければなりません。私が講義した内容は難しくて評判が悪かったですが、それは初歩の初歩の初歩に過ぎません。特に鷹林研究室の人達は身に染みて分かると思います。しかしながら、ここで学んだ努力と頑張りをもってすれば、それは大丈夫でしょう。
将来、私のことは忘れて結構です。担任の名前は何だったかなーと。行先の人生が充実していると、過去は忘れるものです。過去に拘り続けていると、未来は開けません。
しかし私は皆さんのことを覚えています。人の名前を覚えておくことは、ボケ防止の第一歩です。
卒業生の皆さんは、15年くらい経ったらマネージメントの役職に就くと思います。皆さんにはそれだけの力があると思います。その時もしまだ私のことを覚えていたら、鷹林の担任としてのマネージメントを思い出してください。鷹林のマネージメントは良かったか、悪かったかと。
20年後、皆さんが世の中の表舞台で活躍する頃、私は引退しているでしょう。その時もしまだ私のことを覚えていたら、月5000円カンパしてください。34名で最大月17万円、私の老後は安泰です。
それでは卒業生の皆さん、2年間有り難うございました。
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