お国柄と住めば都

 九州に来て4年目です。無謀にも、何の縁も所縁もない土地に来て、当初はうまくやっていけるかなーと不安でした。「九州男児」とか「肥後もっこす」とか、めんどくさい人が多いんだろうなーと不安でした。昔、博士取ってすぐの半年間は筑豊に住んではいましたけど、当時はインド人・韓国人・ドイツ人の同僚研究者とばかりで、地元の人と会話することがまずなかったので、カウント外かと。

 けれども、来てみれば皆さんフレンドリーです。九州男児や肥後もっこすは皆無です。もう、都市伝説かと思うくらい。担任として若い学生さん達と接するにも、校内の職員さん達と接するにも、先生方と接するにも、支障ありません。そりゃ、揉めることもないわけではないですが、後には引かないかな。妙にうまくいくなーと。端的に言うと、オープンな気質の人が多いです。

 最近、室町幕府の二元政治体制に興味があり、関連する本をいくつか読んでいます。初期の尊氏と直義の兄弟げんか(というより、足利一門とそれ以外(高氏)との確執かと)ではなくて、その後の京の幕府と鎌倉府との関係の方です。征夷大将軍となった足利将軍家にとって、何故鎌倉府という、身内ではあっても同格にも等しい組織が必要だったのかが不思議で。鎌倉府の存在は結局、後の戦国時代の引き金の一つになりました。そりゃ、そうですよね。

 以前、先生方との会食で、お国柄の話となりました。言われてみれば、お国柄の違いはあるなと、その時ハッと気づきました。全国各地を巡ってきた人生でして、日本全国様々な土地の人々と接してきました。室町幕府のように日本を二分するとしたら、思い返してみれば、静岡・長野以東の人はちょっと違うかなという気はします。北陸道は、石川・富山がグレーゾーンかと思います。ただし個人的には、滋賀の人は合う合わないの差が大きいです。合う人は合うし、合わない人はとことん合わないです。

 コロナ下でオンライン授業や会議が盛んになり、自分の声を録音して聴く機会が増えました。全然意識してこなかったのですが、肉声はガッツリ広島訛りです。もう、自分でも苦笑してしまうくらい。根っからの広島人です。

 全国的には、広島人の表現はストレートだそうです。しかし当の広島人には、全然悪気はありません。「ワレ、ブチ回すぞ!!」は、挨拶みたいなものです。誰も気にしません。割とオープンです。でも、違う土地の人達にとっては、深刻に受け止められて退かれるようです。それは、東に行くほど顕著かなと思います。

 交通機関が発達して交流が盛んになった現代でも、お国柄の違いは残っています。DNAはそうそう変わるものではありません。ましてや昔は、その違いは顕著だったかと。日本はいくら狭い島国でも、京と東国の二元政治体制は必要なのでしょう。そう考えると、東国江戸に幕府を開いて260年の太平の世を開いた徳川家康は偉大と思います。後北条氏征伐の後、徳川家康は羽柴秀吉によって関東に移されました。単純に見ると、先祖伝来の三河から移封はただの嫌がらせに見えますが、実は見込まれて東国の安定支配を期待されたのかなと。

 同じ島国であるGreat Britainは、England・Wales・Scotlandの三国に分かれています。これと日本のお国柄の対比を考えていくことは、面白いでしょう。

 結局、地理的に近くて歴史的に繋がりも深い九州は、広島人にとっては性に合う土地なのかなと。住めば都ですねぇ。

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