言うまでもなく、採点・評価をする立場です。試験は基礎を重視した導出&論述形式としている上に、実験・実習のレポートが山積しますから、評価に時間を要しています。いやむしろ、時間をかけて学生さん達の能力を見出すよう心がけています。マークシートを含む選択肢方式や迷いのない語句記述方式だったらどんなに楽だったかと、よく思います。
しかし教育の本質は、「学生さん達の能力を伸ばすこと」にあります。クイズ番組じゃないんだから、これらの方式で伸びるとは到底思えないので、時間をかけているわけです。墓下で後生の賢人達に非難されたくはないですからね。
さてレポートは、下記の基準で順に上げていっています。
- 【起】現状を整理できているか
- 【承】整理された現状を説明できているか
- 【転】説明から踏み込んで、先(未来)を提示しているか
- 【結】未来が具体的なものか
です。
「研究じゃないんだから」とか「研究職に就くわけじゃないんだから」とか、実験/実習レポート評価に意見してくる人がいます。はてさて、レポートって、研究だけですか?
まったく・・・、「世間で働いたことありますか?」と、ため息です。
企業にいれば、設計開発だけでなく、生産管理、品質管理、営業、調達管理、財務と、各部署で様々なレポートがあります。
どんなレポートであれ、上記の基準は要求されるものと思います。その最たるものが、お客様宛の品質保証レポートです。上記の内容が欠けていては、お客様に納得して頂けません。企業時代は何度も頭を抱え、苦労しました。どうしたら納得して頂けるかと。レポートが書けない者達が跋扈するような企業では、品質部門が命を削るような思いをしないとなりません。レポートは決して、研究開発の専売特許ではないのです。
また、教育の本質を考えて突き詰めて、評価に「ガラスの天井」を設けないようにしています。私は、頑張った人がその分報われる、正直者が報われる社会が、正しい社会と信じています。評価は、上から目線であってはなりません。足りないものを自覚させて、未来へ導くものでないとなりません。
人生で最も不幸なことの一つは、イタイ目に遭わなかった、叱られなかったということにあると思います。誰しも良い評価は欲しいものです。しかし、おもねった評価は、その人を結果的に不幸にします。実力がないのに実力があると勘違いさせて、努力と向上の機会を奪うからです。指導者として、無責任極まりない行為と思います。
今の世の中、厳しいことがハラスメントと勘違いされます。単なる自己満足・陶酔と、未来を見据えた行為を一緒にしないでほしいなと思うところです。新入社員ですらない学生達に誇ったところで、何の意味も価値もありますまい。
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