レポートと信賞必罰

 学年末試験突入です。でも今回は、テストではなく、レポートについて考えます。

 普通科と実業科のハイブリッドとも見なせる高専では、座学と同程度に実験・実習があり、最後にレポートが課されます。私もいくつかの実験・実習授業を担当しており、レポートを指導かつ評価する立場にあります。

 座学からのペーパーテストでは、個々の能力を見分けるのは難しいです。丸覚えさえすれば何とかなりますから。しかし、レポートはそうはいきません。実力差が如実に表れます。たとえコピペをしても、自分の言葉で書いていない文章はすぐ分かります。論旨が繋がっていないし、似合わない文章は宙に浮くものです。

 社会に出て評価されるのは、ペーパーテストの点ではなく、レポートの類です。日々の業務報告から研究論文まで。第三者に何を伝えるか、伝えたいかが最も重要なことです。そのためレポートの評価は、テストよりも厳密にしています。理屈が分からなくても、実験・実習で手を動かしてさえいれば、そのうち分かってきますし、結局総合成績も上がってきます。

 いざ学生さん達のレポートを読んでみると、総じてレベルは高いです。さすがです。特に上位1割程度は、大学院生も顔負けの非常にレベルの高いものとなっています。「おおっ、これはすごい」と。私が彼らと同じ立場であった場合を想像してみると、この1割のレベルはまず無理だろうと、ほとほと感心します。今のうちに仲良くしておこうと。

 以上を一例として、いつの間にか他人に判断を下す立場になりました。常々、信賞必罰、すなわち「良いことは良い、悪いことは悪い」ということを旨としています。かつ、「なぜ良いか、なぜ悪いか」ということを明確にするようにしています。

 このような是非の判断には、下す我が身にも覚悟が要ります。覚悟を持てない人の指示ほど、他人を不幸にさせるものはありません。勉強する目的は、人生の場面場面で、覚悟を決められるようになるためです。決して、クイズ番組のように知識を振りかざすことではありません。特に日本人は、他人を褒めないことで、自身のモチベーション(マウンティング)を保ちたがります。学歴信仰が典型的な派生事例です。おい、自分の足で立てよと。

 世の中、事を恐れてうやむやにするのは、物事を腐敗させる源です。誰しも波風は好みませんが、波風の立たない日はありません。授業内で言いました。正負の電荷が中和されずに存在し続けているから、世の中が成立している云々と。異質なもの同士が混じり合ってこその世の中です。

 決して、極悪人がいるから物事が悪くなるのではありません。地獄への道は、善意で舗装されているものです。

 ただし、智に働けば角が立ちます。かといって、情に棹させば流されます。そこの見極めが肝要で、日々悩みます。

 目的は、人を活かすことであるということを踏まえて。

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