自己顕示と哲学

 ようやく風邪も明けてきました。体調を崩して何もしないでいると、色んなことを考えます。

 インターネットを通じて、各自の意見がメディアを介さずに自由に披露できるようになりました。インターネットは既存オールドメディアによる情報操作、いわゆる洗脳から人々を解放した反面、自己顕示欲を煽る側面もあり、度が過ぎた内容で社会的地位を失う人々も見受けられます。

 このホームページを立ち上げて、4年半が過ぎました。元々は当時人気のなかった所属するEコースの打開策として、入ったばかりの私なりに考え出したものです。有明高専は総合学科制で、2年生後期から専門コース分けとなります。このようなシステムを採っている以上、コース毎に人気の良し悪しは出てくるのは必然です。ならば切磋琢磨していけば良いだけの話です。人気がなくても志ある学生さんは少ないでしょうが必ずいますので、彼らに対して粛々と成すべきことを成しておけば良いだけとは思うのですが、現実にはそうも言ってられないようです。

 当初はコースのホームページに間借りしていたのですが、お気に召さない方々から自分で独立して行うように言われました。何もしないのに文句だけ言う人は、どこにでもいるものです。何事に対しても、チャレンジすれば何かしらの損失は出ます。しかしその損失にばかり目を向けていたら、何もできません。

 「なんやこいつら!!」と何苦楚の精神でこのホームページを独立させました。このホームページは、完全私費で運営しており、一切の公費は入れていません。良い機会なので、自分の考え・思いを披露し伝えてきました。同時にそれらを自分自身でも整理してきました。何のために教育するのか、何のために研究するのか、そして今後どうしていきたいのかと。自己顕示と言われれば、確かにそうです。

 研究者として生きてきていますが、研究が第一にあってはならないと常に自分に言い聞かせてきます。第一にあるべきは、哲学です。自分は何のためにその職業を選択し、日々携わっているのかと。そしてその職業を通じて、どう生きて、どのように学生達や社会へ貢献するのかと。

 哲学のギリシア語の原義は、「知を愛する」です。全てはここからだと思います。ゆえに、研究内容やテーマというものは実は表面的なものであり、考えるための切っ掛けでしかありません。どんなに地位や名誉そして金銭を得たとしても、哲学のない人生は、人間が知性ある動物である以上、成功した幸せな人生とは言えないと思います。なお、研究第一はブラックに繋がるようですよ。

 学生時代は、その哲学すなわち「どう生きるか」についてひたすら悩んでいました。自分を語れる人を格好良くかつ羨ましく思っていました。今の学生Firstの理念に繋がる「周囲の人達と幸せに生きていきたい」という思いは昔から変わらずあったのですが、具体的にどう考えるかどう行うべきかが分からないまま時が過ぎていました。博士課程に進んで中戸 義禮先生のお言葉を得るまでは。幸運なことに今月の高専フォーラムでは、自身の教育と研究についての思いを披露することができました。

思いは昔から変わりません。
全ての根本です。

 私営のサイトですので、特に宣伝してきてはいません。しかしながら口コミで輪が広がり、身近な学生さん、高専関係者、そして大学・企業の方々へ全国的に訪問者が広がってきました。

 自身の哲学は、自身の内にだけ秘めておけば良いのかもしれません。しかしながら我が人生を振り返ると、変な誤解をよくされてきたこともあるので、このようなツールは私のような者にとっては都合の良いものかと思います。今はわりと評価頂いていますが、我が人生を振り返れば異常事態ですね。

自分の職業を考えます

 高専は高等教育機関のはずですが、高等教育に携わっているとは思えない人も見受けられます。私の見る目が足りないだけであってほしいところです。私も齢を重ねてきましたので、私がこのホームページで述べていることが、後に続く若い高専教員やその関係者の皆さんへの何らかの切っ掛けとなれば幸いです。まあ、ただの自己顕示ですけどね。

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