理屈を教えている日々です。学生の皆さんの理解がスムーズになるように頑張っています、はい。そこで本日は、理屈、すなわち理論というものを考えてみたいと思います。
「理論」というものを一言で表現するならば、「この世(自然)の概要を、最短距離と最短時間で掴むための手法」と言えます。
この世の姿を知るのに、全てを実験に頼るのは効率が悪いです。それで太古の偉い人達は、個々の事象を抽象化してまとめ上げる、「理論」というものを発明しました。理論から、工学的応用など多様な目的・用途を効率よく計画できます。
ただし、理論は完璧ではありません。6~7割程度自然を説明できれば十分です。
というのも、10割の完全なる自然の理解に拘った厳密な抽象化は、数式の煩雑さをもたらし、到底普通の人の手に負えなくなります。極限られた一部の特異な人達の専有物となります。それにそもそも、完全な理解というものは現実には不可能です。冒頭の理論の趣旨からすれば、このような拘泥は本末転倒となります。そのため理論は、その構築過程の場面場面で、対象モデルの理想化や近似を使い、簡潔に努めていきます。
例えば、電気磁気学におけるコイルがつくる磁束密度の式です。難解なビオ・サバールの式から、あらら、非常にシンプルな式が導けます。導出過程では簡便化のため、コイルのらせん構造を略したり、トロイダル半径をコイル径よりも十分大きく考えたりします。式からの計算結果は厳密な測定結果からずれますが、コイル設計の指針にはこれで十分です。
足りない点は、実験で詰めていくのです。
しかし世の中には、この理論の目的を理解していない人がわりといます。曰く「理屈倒れ」、曰く「机上の空論」と言う人達です。「法隆寺は、大工さんがつくった」という人達です。
大工さんの詰めの作業の地下土台には、聖徳太子さんの政治構想や綿密な設計理論があるということです。
他方で少年マンガの定番として、熱血主人公が、理論重視のメガネ君を倒すというのがありますね。このシーンでは逆に、「理論の絶対化」という勘違いを犯しています。理論は初期理解の効率化のための道具であり、最終結論まで必ずしも保証するものではありません。主人公が最終的に勝っても負けても、理論には関係のないことです。試合する意味がなくなりますよ。
そう、最後は「神さまのサイコロ」です。アインシュタインさん、ごめんなさい。
理論は効率化の産物です。でも効率化って、経験十分な人には有用ですが、初学者には難解無双ですよね。イメージが掴めずわからないことは子守唄になり、とても最短の理解にはなり得ません。後日、このあたりについて考えていきたいなと思います。
P.S. 世の中では、「○×必勝法!!」な~んて本が尽きることはありません。でも、ここまで読めば、それが意味のないものであるということはお分かりですね? みんなが勝てればゲームが成立しないし、そういういうものは一子相伝で秘中の秘にしておくものだと思うんですがね~。「秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず。」 人生は、勝ったり負けたりするから面白いのです。
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