Copy & Paste

 感想文から論文まで、世の中にはレポート(書き物)という類のものが無数にあります。

 文章・文体というものは、著者自身を表します。著者の生き様を表します。特に日本語は表現性が豊かな言語ですから、その人の人間性が如実に表れます。数式は一つでも、そこへ至る説明の文章は人それぞれです。自然科学の答えは一つでも、その思いは無数です。行間には、著者の思いと悩み、そして人生がちりばめられています。人が携わる以上、無色中立的なんて書き物は存在し得ません。

 さて私、論文を書く際、引用文献には気を遣います。さらにはその文面を参考にすることもあります。しかし、そのままをCopy & Pasteすることはありません。倫理観というよりも、文体が性に合わないからです。どうにも合わなくて、私なりに表現をアレンジします。

 そんなことしていると、しばしば、「文章が理科的ではなくて文学的すぎる」なんて批判されます。文学少年でも青年でもなかったんですけど、そうなる人生だったのかなぁと。自分は無意識でも、他人から見ればそうなのかと。

 私の書き物は誰にも真似できないし、逆に他人の書き物を私は真似できません。相異なる人生ですから。文は自分自身で書く必要があります。そうでないと、自分自身に嘘をつくことになります。嘘はいつか必ずバレます。灰崎君は、勝利者にはなれなかったです。

 もしかしたら、「守破離」の考え方からずれるのかな。「規矩作法 守り尽くして破るとも 離るるとても 本を忘るな」と言われます。いや、守り尽くす段階であっても内に破る気概がない者は、決して破ることはないよなと。黄瀬君にはありましたね。

 世の中には変に知恵が回って、他人のCopyをかき集めて体裁良くPasteして仕上げる人がいます。要領良く一見優秀に見えます。しかしどれだけ体裁を取り繕おうが、相応しくない継ぎ接ぎの文体には無理が生じます。自分がありません。灰崎君よ・・・。

 そんな人って、人生もCopy & Pasteなんだろうなと思います。他人を意識し、他人に甘えなければ生きられない。自分を持たざるCopy & Paste人生では、決して他人を幸せにすることはできないと思いますね。

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