English

 私、前期は6E(専攻科1年)の英語(生産情報システム技術英語)も担当していました。英語といっても文法云々の話ではなく、英語で書かれた専門分野教材を用いて授業をするというものでした。

 というわけで突然ですが、日本人の英語についてちょっと考えてみようと思います。

 「日本人は英語が苦手」ということは、もはや国民の共通認識となっています。

 でも、果たしてそうでしょうか? 純言語学的に日本語と英語を比較してみますと、どう考えてみても、日本語の方が難しいです。単純に文字の種類を比較してみても。

 日本語を流暢に話せるほど高度な言語能力を持った我々日本人が、何故英語が苦手なのか?

 それはズバリ、「必要がない」からでしょう。

 我々は日常生活において、英語がなくても生きていけます。「Supermarket」に行っても、「○△×円になります~」と日本語で言われます。英語は我々にとって生活に必要不可欠な道具ではなく、単なるファッションです。日本語で書くよりも、英語で書いた方が何となくかっこいいと思うからです。特に歌謡曲なんかそうですね。それ、英語で言う必要あるの??

 これって、現代だけの現象でしょうか。いえいえ、違います。昔は漢語(つまり、中国語)が担っていました。例えば「あるく」と「徒歩」はどちらも同じ意味ですが、漢語で書いた後者の方がかっこよく見えます。そんなわけで、「漢文」という学問が現代に残っています。昔の人が訳しておけば終わりだったのに、仕事増やしよってからに・・・。

 こんなことは何も日本語だけの話ではなく、言語学的に外来語というものは高い地位におかれるようです。英語で「begin」と「commence」は同じ意味ですが、後者はフランス語由来なので、お堅い言葉として地位が高いようです。世界史で言う「Norman conquest」ですね。

 我々は(主に明治の)先人達のおかげで、母国語で学問を修めることができます。ご先祖さま、どうもありがとう。我々は電気磁気学(Electromagnetism)において、「Electric field」を「電界(@工学の人)」とか「電場(@理学の人)」という言葉で理解できます。ところが世界のほとんどの国では、母国語で学問ができません。自ずと英語の教科書で英語の専門用語を使わざるを得なくなります。FaradayさんもMaxwellさんも英国人です。そりゃ彼らが英語を話せるようになるのは当たり前です。

 英語の苦手意識の度が過ぎると、「英語が話せる人はとても優秀な人」という勘違いが生まれます。

 でもね。昔々、就職先で英会話教室が開かれていて、英語で短いプレゼンをするということになりました。私は不確定性原理というテーマで話をしたんですが、英語の先生は理解してくれませんでした。確かに、ガンマ線の観察の話でして、不確定性原理を正しく描写しているわけではなかったんですけどね。文法的には正しかったはずなんですが・・・。

 まとめると、明治維新頃の先人達のおかげで我々は母国語で学問ができ、世界に冠たる科学技術立国を作り上げることができました。でもその副作用として、英語を特に必要とはしない社会となりました。功罪いずれに在りや。

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