老害防止と巨人の肩の上

 研究室は目下絶賛立ち上げ中であり、かつ息の長い研究業界ではありますが、もう若手も卒業したので、老害なるものについて考えていかなければならない年頃なりました。嗚呼、無駄に時を過ごしたのかなぁ・・・。

 老害で一番嫌われることとしては、「過去を美化する」というのがあります。「俺たちの頃は・・・」というやつですね。当人はわざと美化することはないと思いますが、自然にそうなるのだと思います。それは、

「答えを知っているから」

です。答えが過去を無意識的に修正します。歴史の結果から歴史の流れを批判、断罪するのと同じです。答えを知っているから、ああだこうだと言う。一面では正しいようですが、ではアナタはアナタが言う道程を渡って来られたのですかと。誰しももがくものです。平坦な道は理想的かつ理論的かもしれません。ただし、理想や理論が正しい結果を産むとは限りません。時は移り、所は変われど、人類の営みには何ら変わることはないのです。

 その一方で、組織というものは変化していきます。永久なる組織は歴史上存在しませんから、組織も一人の人生と同じように変化していきます。つまり、過去の成果が現在と未来を正しく導くとは限りません。

 我々が過去よりも賢く見えるのは、我々自身が賢いわけではなく、巨人の肩の上に立っているからです。若人より賢く見えるのは、その時間スケールだったらの話です。これから新しく学ぶ若人と、ある程度学んだ者と比較すれば、結果が歴然たるのは当たり前です。

 それに、この道何十年と言ったって、人類の歴史に比べればそれは誤差にもなり得ません。自然科学をまともに学んでいれば、その歴史の長さは分かるでしょう。何十年もやったら、歴史上の偉人よりも賢くなれるのですか。何年経っても、日々勉強です。

 断言できる人は、とても幸せな人だと思います。

 「上に媚びず、下に驕らず」を貫いていきたいと思います。だって私の老後は、若い彼らが支えるのですから。

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