卒業単位数と選択科目

 どこの大学・高専もそうだと思いますが、卒業単位数すなわち卒業に必要な単位数に対して、開講科目は多めに設定されています。そしてその余分な科目は選択科目となっており、取らなくてもほぼ卒業には影響しなくなっています。

 卒業単位数獲得の目処が立てば、選択科目を受けずに時間割を楽にして、最後の学生生活を楽しむという人が割と出てきます。楽しむといっても、バイトしまくったり、ゆっくり寝たりが多いようですが。まあ、個人の自由ですけどね。

 私は、科目の選択は「個人責任」という心づもりでいます。取っても取らなくても個人の自由で、それに伴う以後の責任さえ自分で取ってくれれば、それで構いません。就職/進学したら、「その科目を取っていないことが問題になった・・・」なーんてことがあっても、一切の自己責任でお願いしますよです。そのときになって押しかけてこられても迷惑千万で、後輩達への教育の邪魔でしかありません。貴君中心に地球は回っていません。「権利の行使には、責任が伴います」ってことさえ肝に銘じておいてくれたらOK。

 個人的には、高専は若い内から専門に特化しているので、特に他分野の選択開講科目は取って欲しいと思うところです。他校はよく知りませんが、有明高専は専門コースにいても結構他分野が学べますので。

 専門に特化しているので高専卒は即戦力にはなるでしょうが、「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」とも言います。若い内は広く学び、世の中の広さを知ることが大事だと思います。Liberal Artsという言葉にあるように、欧米では専門分化を日本よりも大分遅らせますね。20代30代の責任が比較的問われない若い内は結構ですが、それ以上の年齢になり、判断・決断・責任が問われる立場になると、広く学んでいるか否か、すなわち教養があるかないかが、かなり効いてきます。決断は一瞬のことですが、それに至るまでには考えに考える必要があります。知識・教養がなくては、そもそも考えることができません。

 教育っていうのはすぐに成否が出るものではありませんが、出たときにはもう手遅れです。「後生畏るべし」です。「ダメだこりゃ・・・救いようがない」という大人は残念ながら世の中に一定数いますが、自分が関わった学生さん達にはああはなって欲しくないなーと思うばかりです。

 選択しない自由と言っても、その自由は実はとっても幼稚な自由かと思います。だって、カリキュラムの必修/選択は学校側が言わば勝手に設定したものであって、各学生の進路での必要性まで深く考えて判断しているわけではありませんし、そもそも個々のケースまでフォローはできません。言い換えれば学生さん達には、必修/選択、卒業単位数に囚われずに、自分が学びたいか/学びたくないか、自分の人生設計に必要か/必要でないかで判断して欲しいところです。他者が作った安全な枠組みの中で遊ぶことは、自由とは言いませんね。

 私の場合はって? 大学なので高専とは違いますが、最終学年では自分に必要と自分が思うものしか取りませんでした。卒業単位数も一応カウントしましたが、数はどうでも良かったです。これは大学のみの特徴になりますが、単位に全く関係しない、よその授業にも参加したりしていました。判断基準は唯一、自分の役に立つか/立たないかです。空いた他の時間は、ひたすら研究実験していました。だって、机上の終わった学問なんて後程自分で本を読めば分かることですが、実験はそうはいきませんから。研究実験の成果は確実に自分自身のキャリアアップに繋がります。同じように机上で学んでいても、同級生に差をつけることはできません。そして化学実験は特に経験がモノを言いますので。研究時間を削ってまで、その科目は受ける必要があるのか否かでした。

 人それぞれですが、主体的に自己責任を持って人生を考えてくれていたらそれで良いです。

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