これまでの人生を振り返ってみると、都度都度イジワルをされてきました。こちらは何もしていないのに、何故かされる。
こちらは普通に話しているのに、いきなり発狂して怒鳴り散らすという人にも複数出会いました。目が点になるとは、正にこのことでした。後でどこをどう振り返っても、発狂される理由が分かりません。そんな経験をしたので、持論を振りかざすのではなく、まずは相手の話をよく聞くように努めています。人それぞれに考えがあり、そこから新たに学び得ることもあります。
学歴のやっかみというのも割とありました。私はそこそこ学歴が良い方のようです。「~ようです」というのは、周囲に同じような人達がたくさんいる環境で育ってきましたので、特に何も感じていませんでした。私にとって学歴とは、人生を豊かにするための手段の一つであり、若い頃の通過点の一つでしかありません。敢えて誇りを持つならば、博士号を持っていることであり、それ以外は「○△の生まれと育ちです」的なふるさと紹介のレベルでしかありません。現在そして未来において成果を出せるか、世の中に価値を提供できるか否かが大事なのです。
しかし、一般世間ではそうではありませんでした。出身大学/高専を命の次に大切にしている人も世の中にいるのだということを学びました。私にとってはどうでもいいことであっても、そうでない人もいるようです。
そんなイジワルをされて人生とても困ったことは、一度や二度ではありません。けれども、その都度誰かが助けてくれました。おかげさまで、履歴書は表面的に問題なく彩られています。
東北大学の次にアカデミックポジションが得られず失業無職が迫っていたときでも、結局助けてもらえました。次なる5年間の企業生活中では、高周波や品質管理など色々と新しく学ぶことができました。その経験は、今の教育業務に大変活かされています。企業生活中でも論文執筆をさせていただくことができ、またそのサポートも数々頂くことができました。勤務を終えて帰宅しての夜や土日に執筆した論文は評価頂けているようで、有り難いことです。そんな経験をしてきましたので、アカデミック職で研究できる身分でありながら、研究しない人をとても残念で悲しい人と思います。
こうして有明高専にやって来ました。何の遺産も財産もなく手ぶらで来ましたので、研究活動をどうしようかと困っていたら、装置を頂け、場所も資金も工面できました。さらに優秀な学生さん達に助けて頂けて、5年間のブランクを取り戻しつつあります。
そして先日は、招待講演を頂くことができました。忘れ去られた存在でなくて、ホント良かったです。
世の中には、話の通じない人がいるものです。そんな人達に対して若い頃は、誠意を尽くせば分かってもらえると甘いことを考えていましたが、やはり通じないものは通じないということを歳を取ってようやく学びました。
都度都度そんな人達に追い詰められましたが、都度都度誰かに助けてもらえてきました。そんな人生を経てきたので、自分に良くして下さる人、自分と関わった人には是非幸せになってもらいたいと思うばかりです。
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